二条持通
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二条 持通(にじょう もちみち、応永23年(1416年) - 明応2年1月12日(1493年1月29日))は、室町時代中期の関白。父は関白二条持基。大染金剛院と号した。
応永34年(1427年)12歳で元服・叙爵した。永享5年(1433年)18歳で正三位権大納言になる。文安3年(1446年)右大臣になり、享徳2年(1453年)関白に就任。翌年関白を辞したが、康正元年(1455年)再び関白に就任。長禄2年には太政大臣に任じられた。同年の暮れに関白を再び辞し、寛正元年(1460年)太政大臣も辞したが、寛正4年(1463年)三たび関白に就任し藤氏長者にもなった。応仁元年(1467年)関白を辞して以後は朝廷の重鎮として活動した。延徳元年(1489年)准后の宣下を受け、その後すぐ出家した。法名は清空。明応2年(1493年)1月12日、78歳で薨去した。