久我通博
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久我 通博(こが みちひろ、応永33年(1426年)-文明14年10月7日(1482年11月17日))は、室町時代前期の公卿。父は太政大臣久我清通。初名を通行といい、また通尚を名乗っていたが、後に通博と改名した。東久世太政大臣と呼ばれた。子に嗣通・豊通・中院通世(中院通秀の養子)・尊海・益遍がいた。
嘉吉2年(1442年)正月に従三位に叙せられ、寛正5年(1464年)11月右大臣となった。文正元年(1466年)正月従一位に叙せられ、文明5年(1473年)に通博と改名した。文明13年(1482年)7月太政大臣となるが、翌年10月7日に57歳で薨去した。
[編集] 参考文献
- 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年。