久世広運
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時代 | 江戸時代後期 | |||
生誕 | 寛政11年7月5日(1799年8月5日) | |||
死没 | 文政13年8月20日(1830年10月6日) | |||
別名 | 吉九郎(幼名) | |||
墓所 | 東京都豊島区巣鴨の本妙寺 | |||
戒名 | 泰領院殿海山英意日照 | |||
官位 | 従五位下、長門守 | |||
藩 | 下総関宿藩主 | |||
氏族 | 久世氏 | |||
父母 | 父:久世綏之、養父:久世広誉 | |||
兄弟 | 久世広運、大友義路 | |||
妻 | 正室:伊達村芳の娘 | |||
子 | 養子:久世広周 |
久世 広運(くぜ ひろたか)は、下総関宿藩の第6代藩主。関宿藩久世家6代。
寛政11年(1799年)、第5代藩主・久世広誉の長男・久世綏之の子として生まれる。文化10年(1813年)9月2日、父・綏之が病弱なことを理由に廃嫡されたため、孫である広運が広誉の養子として迎えられる。文化11年(1814年)12月16日、従五位下・長門守に叙位・任官する。文化14年(1817年)11月7日、祖父が病気を理由に隠居したため、家督を継いで第6代藩主となる。
藩政では文政7年(1824年)11月に藩校・教倫館を創設して学問を奨励している。文政13年(1830年)8月20日に死去。享年32。後を養子の久世広周が継いだ。
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