中島城
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中島城(なかしまじょう)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、尾張国中島郡中島村(現在:愛知県一宮市萩原町中島)にあった豪族中島氏の居城。
城主:尾州中島城主本居山城守源氏孝(戦国時代)
[編集] 略歴
承久3年(1221年)6月5日に嵯峨源氏の流れをくむ中島氏が当地に土着したと伝えられる。 城主は中島左衛門尉宣長を名乗り、子孫は歴代中島蔵人とも号した。 戦国時代中期以降、近隣の斯波氏や織田氏(織田信長)などの勢力に所領を奪われ一時没落、一族は全国に四散した模様である。
落城後、中島氏は豊臣秀吉の家臣となり、中島式部少輔氏重(のち中島氏種)は大坂城に移り大坂七手組頭に任じられた。
[編集] 資料
- 中島城址碑(一宮市萩原町中島字北方北浦)
- 「尾張ノ豪族中嶋氏ノ城址ナリ 中嶋氏ハ嵯峨源氏ノ末流 平安末期コノ地ヲ領シテ勢アリ 城主ノ子滅宗 妙興寺ヲ創建スルヤ百町歩ヲ寄進ス 城ハ室町末期廃サレ 一族全国ニ散在ス」一宮市長