三条実冬
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三条 実冬(さんじょう さねふゆ、文和3年/正平9年(1354年)-応永18年閏10月17日(1411年12月2日))は、南北朝時代から室町時代初期にかけての公卿。父は内大臣三条公忠。母は右大臣西園寺季衡女。子に三条公宣・三条公量・公承(天台座主)がいた。後三条入道相国と号した。
文和4年/正平10年(1355年)8月に叙爵。侍従などを経て、貞和6年/正平22年(1367年)に従三位非参議に叙せられる。永和元年/天授元年(1375年)2月に権中納言となり、永徳元年/弘和元年(1381年)7月に権大納言に任ぜられる。応永2年(1395年)左右大将を兼ね、同年12月に内大臣になる。応永3年(1396年)7月に右大臣となり、応永6年(1399年)正月に従一位に昇叙され、同年2月左大臣となる。応永9年(1402年)8月太政大臣となるが、応永14年(1407年)2月6日出家して法名を常忠とした。応永18年(1411年)閏10月17日、58歳で薨去。
[編集] 参考文献
- 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年
- 近藤敏喬編『宮廷公家系図集覧』東京堂出版、1994年