ラリー・ホームズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラリー・ホームズ(Larry Holmes、1949年11月3日 - )は、1980年代に無敵を誇ったアメリカ合衆国出身の元プロボクサー。元世界ヘビー級チャンピオン。ジョージア州カサバート出身。身長191cm、リーチ206cm。
ニックネームは「イーストンの暗殺者」(The Easton Assassin)。モハメド・アリ引退後、マイク・タイソン台頭までの、1970年代末期から1980年代前半、いわゆる「ポスト・アリ」時代に最盛期を迎え、ヘビー級で長期政権を築いた。アリの人気にあやかろうとした面があり、アリのスタイルを模して軽快なフットワークをアピールしたが、実のところは中間距離での足を止めての強打、好機に見せる正確で強い「詰め」の連打が本来の持ち味であった。
その実力は折り紙付きで、防衛戦でも多くの好ファイトを見せたが、「アリのコピー」呼ばわりされたこと、加えて強力なライバルの不在から、人気は今一つであった。大きな注目を集めたのは引退から再起して衰えが顕著だったアリとの一戦、白人ホープのジェリー・クーニー戦、ロッキー・マルシアノと並ぶ49連勝がかかったマイケル・スピンクス戦くらいで、アリやクーニーには圧勝するも憎まれ役と見られ、スピンクスには僅差で敗れるなど、運にも恵まれなかった。
[編集] 来歴
- 1972年、デュアン・ボビックに敗れ、ミュンヘン五輪代表の座を逸す。
- 1973年、プロデビュー。
- 1978年、ケン・ノートンに判定勝ちし、WBC世界ヘビー級タイトルを獲得。このタイトルは計17度防衛。
- 1980年、カムバックしてきたモハメド・アリと対戦、10回終了TKOに破る。
- 1983年、IBF初代世界ヘビー級チャンピオンに認定される。3度防衛。
- 1985年、マイケル・スピンクスに判定負けし、タイトルを失う。
- 1986年、マイケル・スピンクスの持つIBF世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。
- 1988年、マイク・タイソンの持つ統一世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、4ラウンドKO負け。
- 1992年、イベンダー・ホリフィールドの持つ統一世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。
- 1995年、オリバー・マッコールの持つWBC世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、判定負け。
戦績 75戦 69勝(44KO)6敗(2003年10月現在)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
前王者 |
第9代WBC世界ヘビー級王者 |
次王者 |
前王者 N/A |
初代IBF世界ヘビー級王者 |
次王者 |