ヤン・ウカシェヴィチ
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ヤン・ウカシェヴィチ(Jan Łukasiewicz, 1878年12月21日 - 1956年2月13日)はポーランドの論理学者・哲学者。リヴィウ(現ウクライナ)に生まれ、リヴィウ大学にてカジミェシュ・トヴァルドフスキの薫陶を受ける。
1911年にルヴフ大学員外教授に就任。1915年にはワルシャワ大学に移り、1920年から1939年にかけて教授職を務めた。また、1919年には文部大臣に就任している。ワルシャワではスタニスワフ・レシニェフスキらとともに、いわゆる「リヴィフ=ワルシャワ学派」の中心的存在として活躍。
第二次大戦の勃発によりベルギーへの亡命を余儀なくされ、戦後はアイルランドに渡り、ダブリン大学で教えた。
アリストテレス論理学に関する研究、多値論理に関する研究等が有名。また、論理式のいわゆる「ポーランド記法」は、彼の発案によるものである。