マリア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=パルマ
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マリア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=パルマ(イタリア語表記:Maria Luisa Pia Teresa Anna Ferdinanda Francesuca Antonietta Margherita Giuseppina Carolina Bianca Lucia Appollonia di Borbone-Parma, 1870年1月17日 - 1899年1月31日)は、ブルガリア王フェルディナント1世の最初の妃。彼女は夫が王位に就く前に没したため、ブルガリア公妃にはなったが、王妃ではない。ドイツ語名マリー・ルイーゼ・フォン・ブルボン=パルマ(Marie Louise von Bourbon-Parma)、ブルガリア語名マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ(Мария-Луиза Бурбон-Пармска)。
パルマ公ロベルト1世と、最初の妃マリア・ピア(両シチリア国王フェルディナント2世の娘)の長女として、ローマで生まれた。彼女の両親は、マリア・ピアが1882年に出産時に死亡するまで11人の子供の親となった。その後ロベルトは再婚し、さらに12人の子供をもうけた。最初の11人の兄弟姉妹の中には、両親の近親婚のせいで、精神障害をもつ者も多かった。
婚約が整ってからマリア・ルイーザは初めてザクセン=コーブルク=ゴータ公子フェルディナントと会い、1893年4月20日にルッカで結婚した。2人には4子が生まれた。
- ボリス3世(1894年 - 1943年)
- キリル(1895年 - 1945年)
- エウドクシア(1898年 - 1985年)
- ナデジダ(1899年 - 1958年) ヴュルテンベルク公アルブレヒト妃