ボイオーティア
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ボイオーティア(ボイオティア、ヴィオティア)(ギリシャ語: Βοιωτία, Boeotia, Beotia, Bœotia)は、コリンティアコス湾の北東部にあった、古代ギリシアの一地方。南にメガリス(en:Megaris)ならびに(アッティカと自然バリアを形成する)キタイロン山麓、北に東ロクリス(en:Opuntian Locris)、エウリプス海峡(en:Euripus Strait)、エウボエア湾(en:Gulf of Euboea)、西にポーキスとそれぞれ接していた。中央には大きなコパイス湖(en:Lake Copais)がある。
現代のヴィオティア県(en:Boeotia Prefecture)とほぼ同じ境界である。
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[編集] 伝説
ギリシア神話において、ボイオーティアは重要な役を演じている。軍事的拠点として、カドモスが建国した軍事的拠点テーバイ、進取的な商業都市として、ミニュアース人(en:Minyans)の住むオルコメノス(en:Orchomenos)という伝説の2つの中心地を持っていた。
Graia( Γραία, 古代、古い)と呼ばれたのは、ギリシアで最も古い都市であるという意味からで、何人かの学者は、Graiaは「グラエコス(en:Graecus, ギリシャ語:Γραικός)」と関係があると言っている[1]。アリストテレスはこの町は大洪水前に建設されたと述べている。都市Graiaの起源に関する同様の主張は、紀元前267年から紀元前263年に書かれた、古代の大理石の碑文パロスの年代記(en:Parian Chronicle)にもある。この年代記は1687年に発見され、現在はオックスフォードとパロス島にある。さらにこの古代都市について、ホメロス、パウサニアス、トゥキディデスの著書にも記述がある。
[編集] 歴史
ボイオーティアはコリンティアコス湾の北に位置し、テッサリアとペロポネソス半島の間からコリントス地峡にかけて広がっているために、政治的に大変重要な場所だった。辺境の住民たちの戦略的強さ。広大な地域の中のコミュニケーションの容易さ。一方で、良港はなく、それで海運の発展を遅らせた。ボイオーティア人の中には、ピンダロス、ヘシオドス、エパメイノンダス、ペロピダス、プルタルコスのような偉人もいたが、ことわざでは「鈍い」と言われていた。おそらくアテナイの、近隣諸国に対する文化的優越感がそう言わせたのであろう。
伝説的なミニュアース人の重要性は考古学的な遺跡(とくにミニュアースの宝物殿[2])によって確実なものとされている。ボイオーティア人はおそらくドーリア人の侵略以前に、北からこの土地にやってきたものと思われる。ミニュアース人を除く先住民たちはこれら移民たちに吸収され、以後、ボイオーティア人は等質的な民族として描かれる。
有史時代になって、この地方の中央部に位置することと強大な軍事力から、テーバイがボイオーティアの中心都市となった。他には、オルコメノス、プラタイア(en:Plataea)、テスピアイ(en:Thespiae)といった都市があった。テーバイは、アテナイがアッティカの国家群を併合したように、他の都市を吸収して単独国家となろうという野望を恒常的に持っていた。しかし、中心から離れた都市群がこの政策を阻むことに成功し、最初は単に宗教上の、緩い同盟を形成するにとどめた。
アルカディア人と違って、ボイオーティア人は通常、外敵に対して一つになっていた。その間、都市間の争いは国家の発展のため厳しく抑制されていた。紀元前6世紀後半までボイオーティアはほとんど歴史に出てこない。それ以前はボイオーティア人の名は主に、アテナイのディピュロン(Dipylon)に似た幾何学的陶器の制作者として知られていた。紀元前519年頃、テーバイの同盟政策へのプラタイアの反抗が、アテナイの代理干渉を導いた。この時と紀元前507年、アテナイ人はボイオーティア兵を破っている。
紀元前480年のペルシア戦争中は、テーバイはペルシアを支援した。その結果、しばらくの間、テーバイはボイオーティア同盟の盟主権を剥奪された。しかし紀元前457年にスパルタがテーバイの盟主権を回復させた。タナグラの戦い(en:Battle of Tanagra (457 BC))以降、アテナイの攻撃に対する防波堤にするためだった。アテナイはその報復にボイオーティアに突然侵攻し、Oenophytaの戦い(en:Battle of Oenophyta)の後、テーバイを除くボイオーティア全土を支配した。アテナイはボイオーティアに新たに民主主義を導入し、10年間、それは行使させた。しかし紀元前447年、ボイオーティアは反乱を起こし、その年のCoroneaの戦い(en:Battle of Coronea (447 BC))で自治を回復した。
ペロポネソス戦争では、ボイオーティアはアテナイと徹底的に戦った。ニキアスの平和(en:Peace of Nicias)以降スパルタとは少し疎遠になったが、ボイオーティア人は近隣諸国に対する恨みをやわらげることはけっしてなかった。ペロポネソス戦争の最後の数年は、シラクサの戦い(en:Sicilian Expedition, 紀元前415年)に、アルギヌーサイ海戦(en:Battle of Arginusae, 紀元前406年)に、貢献した。しかし、ボイオーティアの最大の業績は、紀元前424年にデリウムの戦い(en:Battle of Delium)でのアテナイ軍に対する決定的勝利だった。この戦いでボイオーティアの重歩兵ならびに騎兵は尋常ならざる効果的な働きを見せ、紀元前423年のタナグラの戦いでは、スパルタがアテナイを打ち負かすのを支援した。しかし、その2ヶ月後、アテナイは軍勢を再編し、Oenophytaの戦いでテーバイを破り、ボイオーティアを制圧し、スパルタが作った城壁は壊された。この勝利とともに、アテナイは戦争の発端となったポーキス、ならびに東ロクリスを占領した[3]。
この当時のボイオーティア同盟は11の独立国およびそれと関係する町から成っていて、それぞれの国が、1人のBoeotarch(en: Boeotarch, 軍および外交大臣)を選出し、テーバイの同盟議会に60人の代議員を送り、同盟軍に1,000人の歩兵と100頭の馬を提供した。中央政府の一部の不当な侵犯に対する自衛は、個々の都市の議会において定められていた。それに限らず、地方議会では、あらゆる重要な政策問題が上申のうえ承認されることになっていた。そのメンバーは資産階級のみで4つの部門に分かれていた。これは、すべての新議案を交替で投票するアテナイ議会のプリュタネイス(en:Prytaneis)に似ていた。
ボイオーティアはコリントス同盟(en:League of Corinth)の一員としてスパルタとの戦い、とくにHaliartusの戦い(en:Battle of Haliartus, 紀元前395年)ならびにCoroneaの戦い(en:Battle of Coronea (394 BC), 紀元前395年〜紀元前394年)で重要な役割を果たした。この政策の変化は他国の干渉に対する民族的敵意が主にあったように思われる。テーバイに対する不満はまだくすぶっていて、スパルタがアンタルギデスの平和(紀元前387年)で全都市の完全独立を要求したことで、その不満はさらに増大した。しかし、紀元前374年にはペロピダスがテーバイの支配権を取り戻してから、その支配は二度と覆されることはなかった。
ボイオーティアの分遣隊は、スパルタに対してエパメイノンダスが起こしたすべての戦いに参加した。最も知られているのは、レウクトラの戦い(紀元前371年)やポーキスとの戦い(紀元前356年〜紀元前346年 )で、ピリッポス2世との関係から、各都市はテーバイに従うだけだった。同盟の法はこの地方のいたるところに民主政治に従ってもたらされた。主権は(7人から12人の)Boeotarchsたちから構成され、すべての法を批准する、人民会議に与えられた。カイロネイアの戦い(紀元前338年)でボイオーティア重歩兵は再度めざましい活躍を見せたが、それがボイオーティアの最後の華々しい見せ場となった。
アレクサンドロス3世 (アレキサンダー大王)のテーバイ破壊(紀元前335年)は、ボイオーティアの政治的エネルギーを殺してしまったものと思われる。ボイオーティアはそれ以降、二度と独立政策を求めることなく、庇護国に従うだけだった。軍事教練と組織は残ってはいたものの、ボイオーティア人は国境を守ることができないことがわかっていて、「戦神アレスの踊る土地」どころではない土地になってしまった。短期間アイトーリア同盟に加盟したが(紀元前245年)、それ以外はマケドニア王国に忠誠を誓い、ローマ帝国と戦う王たちを支持した。そのローマに支配されることになって、いったんはアウグストゥスの統治下での復活を許されたが、ローマはその同盟を解消させ、ボイオーティアを他の中部ギリシア諸国と一緒にアカエア(en:Achaea)に編入してしまった。そして、第一次ミトリダテス戦争時の荒廃は、この国の発展にとって致命的な打撃となってしまった。
[編集] ボイオーティアの出身者
- エパメイノンダス - 軍人、政治家。
- ゴルギダス(en:Gorgidas) - 神聖隊の指導者。
- ヘシオドス - 叙事詩人。
- ペロピダス - 政治家。
- ピンダロス - 詩人。
- プルタルコス - 著述家。
- ルカ - 出身者ではないが、この土地で死んだと伝説では言われている。
- ナルキッソス -神話の登場人物。
- バキス(en:Bakis) -神話の登場人物。
[編集] 脚注
- ^ Hatzidakis, 1977, quoted in Babiniotis Dictionary
- ^ www.albany.edu
- ^ Fine, John VA (1983). The Ancient Greeks: A Critical History. Harvard University Press, 354-355.
- この記述には、パブリックドメインの百科事典『ブリタニカ百科事典第11版』本文を含む。