ベンジャミン・ウィチカット
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ベンジャミン・ウィチカット(Benjamin Whichcote あるいはWhitchcote, 1609年 - 1683年)はイギリスの神学者、説教師、哲学者。ケンブリッジ・プラトン学派の代表的な人物である。バーミンガム近郊の貴族の生まれ。幼少期に関しては詳細は分からないが、1626年にケンブリッジ大学のエマヌエル学寮に入学。「ピューリタンの神学校」として知られていた。当学寮で、文学修士号を取得。後に、当学寮のフェローとなり、後世にケンブリッジ・プラトン学派のメンバーと見なされる後進の育成にも力を注いだ。なお、哲学体系を構築しようとした厳密な意味での哲学者ではなく、古典哲学の解説、教会においての説教などの草稿が断片的に残っているだけで、著作はひとつもない。
1636年、トリニティ教会の説教師となる。ウィチカットの説教は、評判を呼び名声が高まったが、やがって正統派のピュリータニズムと対立が起き、彼の師であるタックーニと激しい論争が起きた、これにより、ウィチカットはケンブリッジを1651年に去る。その後、しばらく隠遁生活を余儀なくされたが、晩年は彼の人格と知見が買われて再び教会に牧師として絶つことが出来た。