プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス
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プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムス(Publius Sulpicius Galba Maximus、紀元前3世紀頃 - 紀元前2世紀頃)は、古代ローマの政治家。
第二次ポエニ戦争中の紀元前211年、ガルバは執政官に就任した。この年、カルタゴのハンニバルが、軍を率いて首都ローマまで迫った。ガルバの手元には二個軍団があったが、彼は正面対決を避け、ハンニバルが後退するのを待った。
ガルバは紀元前210年と紀元前206年にギリシャの属州総督(プロコンスル)となり、第1次マケドニア戦争を戦った。ガルバはローマの艦隊を率いてエーゲ海に入り、紀元前210年にエギナ島を占拠した。しかし、他にこれといった戦果はほとんどなく、ギリシャ本国ではマケドニアの優勢下で戦争は終わった。
紀元前203年、ガルバは独裁官に就任、紀元前200年には再び執政官に選出され、第2次マケドニア戦争を主導した。ガルバはアポロニアに上陸し、西方からマケドニアに侵攻した。戦果は目立ったものではなかったが、アイトリアをローマの同盟国とすることに成功した。
紀元前197年と紀元前196年、ガルバはティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌスの下でギリシャ問題にあたった。また、外交官としてアンティオコス3世の下へ派遣された。