フリッツ・ライナー
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フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日 - 1963年11月15日)は、ハンガリー出身の指揮者。マジャル語名Reiner Frigyes(レイネル・フリジェシュ)、英語名Frederick Martin Reiner(フレデリック・マーティン・ライナー)。
ブダペスト生まれ。リスト音楽院に学び、1909年、ビゼーのオペラ『カルメン』で指揮者デビュー。
リュブリャーナ歌劇場、ブダペスト・フォルクスオパーの指揮者を経て1914年にドレスデン国立歌劇場指揮者。リヒャルト・シュトラウスと親交を持つ。
1922年、渡米してシンシナティ交響楽団常任指揮者。同年よりカーティス音楽院で指揮を教える。門下にレナード・バーンスタインがいる。
1938年、ピッツバーグ交響楽団音楽監督。
1948年、メトロポリタン歌劇場指揮者。
1953年、シカゴ交響楽団の音楽監督。死去までの10年間、同楽団の黄金時代を築く。
手兵シカゴ響との録音はRCAに残されており、その多くをLiving Stereoレーベルで聴くことができる。レパートリーは広く、どの演奏も、オーケストラの機能性を十全に発揮した筋肉質で純度の高い表現を見せる。とりわけ、リヒャルト・シュトラウスの交響詩や出身地ハンガリーの作曲家で個人的にも親交のあったバルトークについては現在も非常に評価が高く、名盤とされる。また、ウィンナ・ワルツ集は、名ソプラノ歌手エリーザベト・シュヴァルツコップが「無人島に持っていく1枚」として選んだことで知られる。
経歴からも知られるように、ライナーは歌劇場指揮者としても活躍し、ワーグナー『パルジファル』をバイロイト歌劇場以外で初めて指揮し、ドレスデンではリヒャルト・シュトラウスに認められて、『サロメ』、『エレクトラ』、『影のない女』、などを次々に上演した。
ライナーはオーケストラビルダーとしても知られ、指揮や練習の厳格さで楽団員から恐れられていたという。例えばキーパーソンとなる楽団員に対しては厳しい「実地試験」が予告なく課せられることがあり、それをクリアしたメンバーが結果的にその後オーケストラを長きにわたって支え続けることになっている。一方でライナーの強い自我意識から敵を作りやすくもあった。 その指揮ぶりは、長い指揮棒をわずかだが精密に動かすユニークなスタイルであった。楽団員が冗談のつもりで双眼鏡を席の前に設置して解雇されたという逸話も残されている。しかしそれほどにわずかなバトンテクニックに適応するオーケストラを作ったわけであり、クライマックスでライナーが突然大きく指揮棒を振り上げた時の効果は絶大だったといわれる。シカゴ交響楽団が持つ指揮への反応のよさはライナーが引き出したといってよい。
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