ピーター・クリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピーター・クリス(Peter Criss、1945年12月20日-)は、アメリカのロックバンドKISSの初代ドラマー。ボーカルも担当。KISS在籍時のステージネームは『THE CATMAN』であり、ネコのメイクをしていた。ソロ活動は元KISSのメンバーと絡む事が多い。
目次 |
[編集] 経歴
アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン生まれ。本名、George Peter John Criscuola。
70年代初期は不良グループに属しており、Chelseaというバンドでドラマーをしていた(Chelseaの解散と同時に不良グループからも離れたという)。
[編集] KISSでの活動
Chelsea解散後、メンバー募集をしていたKISSにドラマーとして参加。 「Black Diamond」「Beth」「Hard Luck Woman」「Baby Driver」「Hooligan」「Dirty Livin'」のリード・ヴォーカルも担当。中でも「Beth」と「Hard Luck Woman」は大ヒットを記録した。78年にはメンバー4人同時にソロアルバムを発表。セールス面では最下位だったが、このアルバムで自信を付けたピーターは、KISSに息苦しさを感じる。やがてメンバー間との人間関係の亀裂(特にジーン・シモンズとの)が生じ、ライブの最中に演奏を放棄するといった、やる気の無い態度が目立つようになる。ドラッグやアルコールにも溺れ始め、レコーディングもままならず、脱退直前のアルバムであるDynastyでは、自身の1曲を除いてレコーディングから外された。1980年、次回作Unmasked(レコーディングには一切不参加)収録の「Shandi」のPV撮影を最後にKISSを脱退する(半ば解雇でもあった)。
[編集] 脱退後の活動
PETER CRISS名義でソロ活動を開始。 1980年に「Out Of Control」、82年には「Let Me Rock You」をリリース。 「Let Me Rock You」には、ジーン・シモンズとヴィニー・ヴィンセント(1982年にKISSに加入したが、1984年に解雇)も楽曲提供をしている。 上記の2作で産業ロック調の作品を展開したが、いずれもセールス面では惨敗を喫する。 1989年に、エース・フレーリー(1982年にKISSを脱退)のアルバム「Trouble Warkin'」に、ヴォーカルで1曲参加。ライブにもゲスト出演した。 1994年には、CRISS名義で「Cat」をリリース。ハードロック路線の作品であり、エースがギターで参加している。 一時期はマーク・セント・ジョン(1984年にKISSに加入したが、同年に脱退)とバンドを組んでいたが、公式な音源は残されずに解散した。
[編集] KISSに復帰
1995年に、MTVアンプラグドでKISSのメンバーと演奏した事をきっかけに、エースと共にオリジナルメンバーでの本格的な再結成が実現。1996年から翌97年まで世界ツアーも敢行。 1998年には、アルバムPsycho Circusをリリース。 2000年にはKISSが解散宣言をし(後に撤回)、解散ツアーが行われるが、中盤に差し掛かった頃にメンバーとの仲が再び悪化し、脱退する。 2003年に再び復帰するが、2004年に脱退した。
[編集] その後
2007年に、13年ぶりのソロアルバム「One For All」をリリース。
[編集] ディスコグラフィー
- Peter Criss(1978年)
- Out of Control(1980年9月)
- Let Me Rock You(1982年5月)
- Cat 1(1994年8月16日) - Criss名義
- One for All(2007年7月24日)