ピアノソナタ (ヤナーチェク)
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《1905年10月1日(1. X. 1905)》は、レオシュ・ヤナーチェクが1905年に作曲したピアノ・ソナタの通称。この通称は、作曲者自身が付けた副題「1905年10月1日 街路にて」にちなんでいる。本作品は、ブルノにチェコ語大学の設立を要求するデモに参加していたチェコ人労働者、フランティシェク・パヴリーク(František Pavlík)が、銃殺された事件に衝撃を受けて作曲された。パヴリークの霊前に献呈されている。
当初は伝統的な3楽章制のピアノ・ソナタだったが、1906年1月27日の初演に先立ち、終楽章『葬送行進曲』が暖炉にくべられて破棄され、現在の形に落ち着いた。初演後に作曲者はこの作品に不満を持ち、残った部分の自筆譜はモルダウ川に投げ捨てたと言われているが、初演者ルドミラ・トゥチコヴァーが筆写していたおかげで、永遠に失われることなく現在に伝えられている。ヤナーチェクが許可を出してこの曲が出版されたのは、初演から18年後のことであった。
現存する部分は以下のとおり。
- 予感〔英訳のPresentimentは「不吉な予感」〕 (Con moto)
- 死 〔原題は『悲歌』〕(Adagio)
両楽章とも変ホ短調で作曲されている。第1楽章は伝統的なソナタ形式を踏んでおり、オスティナートが次第に曲を覆っていく。第2楽章は3部形式による悲歌で、第1楽章のオスティナートが核となっている。濃密だが形式ばった感じのしない音楽であり、雰囲気は悲しみと受け入れがたい心境にあふれている。