バロネス・オルツィ
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バロネス・オルツィ(Baroness Orczy、1865年9月23日-1947年11月12日)、本名エンムーシコ・マグダリーナ・ロザーリア・マリア・ジョーセファ・バルバラ・オルツィ・バーストウ(Emmuska Magdalena Rosalia Maria Josefa Barbara Orczy Barstow)はハンガリー出身のイギリスで活躍した作家・推理作家。バロネスは男爵の女性形。歴史ロマンス作品『紅はこべ』シリーズや安楽椅子探偵の先駆けである『隅の老人』シリーズで人気を博した。
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[編集] 経歴
1865年ハンガリーの由緒ある男爵家に生まれる。父フェリクス・オルツィはアマチュア作曲家・指揮者であり、フランツ・リストら当時の高名な音楽家たちと親交が深かった。2歳のとき、小作人の反乱が起こり、一家はブダペストに移った。後にブリュッセルやパリで教育を受けたあと、1881年にロンドンの美術学校に入学した。そして1894年に学校の友人であったモンタギュー・バーストウと結婚した。
1899年には二人の間に息子も生まれたが、経済的には厳しい状況で自身も翻訳の内職などをして過ごしていた。最初の創作である『皇帝の金燭台』を執筆したのもこの頃である。この歴史ロマン作品の売れ行きはさっぱりで、続いて雑誌に短編を書き始める。当時のシャーロック・ホームズの爆発的な人気に触発され、1901年に『ロイヤル・マガジン』に奇妙な老探偵「隅の老人」(The Old Man In the Corner)が登場するミステリ短編を書き始めまずまずの好評を得た。
歴史ロマン作品も諦めたわけではなく、雑誌に短編を連載していたころ、フランス革命を題材に取った『紅はこべ』を完成させていた。当初は出版されず、夫との共作で舞台化したところ大ヒットし、1905年になって小説の形で発行された。この後も続編を書き続け、10作以上にものぼる『紅はこべ』シリーズは自身の名を不朽のものとした。
『紅はこべ』がヒットした後もミステリ短編は書き続け、隅の老人シリーズの他、ロンドン警視庁の女性警官レディ・モリーが活躍するシリーズや弁護士パトリック・マリガンの登場するシリーズなどを発表した。推理作家の親睦組織ディテクションクラブにも何度か顔を見せていたという。
第二次世界大戦中はモンテカルロに移住したが、1943年に夫を病気で亡くし、イギリスに戻って1947年に死去した。
[編集] 評価
『紅はこべ』に代表される歴史ロマン小説を数多く執筆し、現在まで盛んに読み継がれている。過去に何度も映画化されこちらも好評を博した。
ミステリの分野では安楽椅子探偵のはしりとされる隅の老人を登場させ安楽椅子探偵の形が決定づけられたことが評価されている。またの女性探偵を登場させた最初期の一人としても知られる。