ナンシー・ケリガン
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オリンピック | ||
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フィギュアスケート | ||
銀 | 1994 | 女子シングル |
銅 | 1992 | 女子シングル |
基本情報 | ||
国: | アメリカ合衆国 | |
生年月日: | 1969年10月13日(38歳) | |
出生地: | マサチューセッツ州 | |
元コーチ: | Mary Scotvold | |
引退: | 1994年 |
ナンシー・ケリガン(Nancy Kerrigan、1969年10月13日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身の女性フィギュアスケート選手で現在はプロスケーター兼解説者。1994年リレハンメルオリンピック女子シングル銀メダリスト。1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銅メダリスト。
[編集] 経歴
6歳からスケートを始めた。アイスホッケーをしていた兄弟と共に育ち、9歳の時に初めてフィギュアスケートの大会でメダルを獲得した。
1991年世界フィギュアスケート選手権女子シングルでアメリカ合衆国がメダルを独占したときのメンバーの1人であり、クリスティー・ヤマグチ、トーニャ・ハーディングに次いで銅メダルを獲得した。1992年アルベールビルオリンピックで銅メダルを獲得、同年の世界選手権では銀メダルを獲得した。
1993年全米フィギュアスケート選手権で初優勝を飾った。直後の1993年世界選手権ではショートプログラム終了時点ではトップに立ったが、フリースケーティングで大失敗となる9位。総合で5位に終わった。
1994年1月6日、ケリガンはトーニャ・ハーディングの前夫に雇われた人物に襲われてひざを怪我する。全米選手権を欠場に追い込まれたケリガンの代わりに全米選手権2位のミシェル・クワンが代表に一時選ばれたが、特例でケリガンがオリンピック出場を認められてクワンは補欠になった。襲撃されてから1ヵ月後のリレハンメルオリンピックで銀メダルを獲得。
オリンピック後、アメリカに帰国したケリガンの銀メダル獲得を祝うディズニー・パレードで「何で、私がこんなことやらなきゃいけないのよ、馬鹿馬鹿しい。」と話す声がマイクに入ってしまい、イメージが台無しになってしまった(本人は、マイクで拾われたコメントはパレード自体に向けて言っていたのではなく、銀メダルを首から下げてパレードに参加されられるのが嫌で、それについて文句を言っていた、と釈明)。オリンピック後に現役を引退し、プロスケーターとして活躍。
[編集] 主な戦績
大会/年 | 1986-87 | 1987-88 | 1988-89 | 1989-90 | 1990-91 | 1991-92 | 1992-93 | 1993-94 |
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オリンピック | 3 | 2 | ||||||
世界選手権 | 3 | 2 | 5 | |||||
全米選手権 | 12 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | ||
スケートアメリカ | 2 | |||||||
ラリック杯 | 3 | |||||||
NHK杯 | 5 |