テウォ県
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各種表記 | ||
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チベット語 | チベット文字: | ཋེ་བོ་རྫོང་ |
ワイリー方式: | the bo rdzong | |
カタカナ転写: | テウォ・ゾン | |
蔵文ピンイン: | Tewo Xiàn | |
中国語 | 簡体字: | 迭部县 |
漢語ピンイン: | Diébù Xiàn | |
片仮名転写: | ティエプー・シエン | |
情報 | ||
省級行政区: | 甘粛省 | |
地級行政区: | 甘南チベット族自治州 | |
面積: | 5,108km² | |
人口: | 5.64万 | |
郵便番号: | 747400 | |
市外局番: | 09418 | |
行政区画代碼: | {{{代碼}}} | |
自治体公式サイト: | {{{公式サイト}}} |
テウォ(迭部)県(―けん)は中国甘粛省甘南チベット族自治州の県の一つ。秦嶺の西部、岷山、迭山の間の峽谷中にあり、四川省に接し、北は卓尼県、東は舟曲県、東北は定西市岷県、隴南市宕昌県、西南は四川省アバ・チベット族チャン族自治州の若爾蓋県、九寨溝県に隣り合う。
テウォはチベット語で親指を意味する。仙人涅甘達娃がここを通ったとき、親指で山中に一本の道を開いたことに由来する。
面積5108km²、人口5.64万。森林覆蓋率54%以上、ジャイアントパンダが生息する。現在中国14番目のジャイアントパンダの保護区指定を受けるべく努力している。
迭部という漢称は蜀の大将姜維が宦官黄皓との政治的争いを避けてここに駐屯し開墾した時代のものである。
ここは紅軍の長征が甘粛で最初に入った県である。1935年8月9日紅一方面軍は草地を経て俄界(今の高吉村)に到達、中共は俄界会議を招集した。毛沢東はこの会で《関於與四方面軍領導的争論及今後的戦略方針》を作り、《関於張国燾同志的錯誤決定》を作出、《為北上抗日同志書》を出し、陝西、甘粛の割拠方針を決定した。9月14日に紅軍は旺蔵郷達茨日那村旺蔵寺に達し、毛沢東はここで臘子口戦役を指揮した。
迭部俄界会議会址、達茨日那村毛沢東故居などは紅色旅遊(革命聖地などを訪ねる観光)の目的地である。
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