ティベリウス・センプロニウス・ロングス
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ティベリウス・センプロニウス・ロングス(Tiberius Sempronius Longus、紀元前260年-紀元前210年)は共和制ローマの第二次ポエニ戦争期の政治家、軍人。紀元前218年にプブリウス・コルネリウス・スキピオとともにコンスルを努め、ハンニバルの進攻を阻止しようとした。
紀元前218年にコンスルに任命されたロングスはアフリカに赴き、同僚のスキピオはハンニバルの行動を牽制するためにイベリア半島に赴き、シチリア島のリリュバルムより出立、マルタ島を攻略する。しかしながらその直後に同僚コンスルのスキピオがティキヌスの戦いでハンニバルに敗北、自身も負傷し、元老院はロングスを援軍として送る。到着後、ロングスはスキピオと対立し、ハンニバルに対して果敢に攻めるが、トレビアの戦いで敗北する。ロングスと彼の配下の10,000人はハンニバルの弟マゴ率いるカルタゴ軍の包囲を受けながらもカルタゴ軍の後陣を突破、からくも脱出する。
紀元前217年1月にはロングスはコンスルの選挙を見届けるためにローマに帰還、コンスル職をガイウス・フラミニウス・ネポスに委譲し、すぐにローマ軍の冬営地に戻った。紀元前215年にはハンノの率いるカルタゴ軍と交戦、南イタリアのカルタゴ勢力をカラブリア州へ追い出し、ルカニアの都市を再びローマの配下にするきっかけを作った。
同名の彼の息子、ティベリウス・センプロニウス・ロングスも父と同様コンスルとなり、ガリア地方を治めた。