ジル・バンショワ
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ジル・バンショワ(Gilles de BinchoisまたはBins, 1400年頃~1460年9月20日)はネーデルラントの作曲家でブルゴーニュ楽派初期の一員。16世紀初頭で最も有名だった作曲家の一人。しばしば同世代のジョン・ダンスタブルやギヨーム・デュファイの陰に隠れがちではあるものの、バンショワ作品はしばしば他の作曲家たちによって、作曲の素材として借用されたり引用されたりしていることからすると、おそらく同時代の誰よりも影響力の大きい作曲家だったに違いない。
[編集] 生涯
呼び名は出生地のバンシュBinche(モンス近郊)にちなみ、中世フランス語で「バンシュの人」の意(フランソワFrançois の“-ois”に同じ)。1419年にモンスの聖ヴォードリュー教会Ste Waudru in Monsのオルガニストに就任し、1423年よりリールに転住。この頃には、オケゲムによるバンショワ追悼のモテットの一節にほのめかされているように、おそらくブルゴーニュ公国か、イングランド王国のサフォーク伯に従軍していたらしい。
[編集] 音楽作品とその影響力
しばしばバンショワは、15世紀の最も優れた旋律家と見なされてきた。入念に作り出された旋律線は、歌いやすくて、すこぶる覚えやすい。バンショワの旋律は、数十年経っても模倣され続け、しばしば後代の作曲家によるミサ曲において、素材として流用されている。バンショワ作品のほとんどは、宗教曲の場合でさえ、輪郭が単純明快で、時に禁欲的ですらある。バンショワの作風と、前世紀のアルス・スブティリオルの極端な複雑さとの間に、それ以上の対照性を認めることはたやすくない。バンショワの世俗歌曲の多くはロンドー rondeaux(ロンド形式のことでなく、中世フランスで最も普通の詩形)で構成されている。だがバンショワが簡潔な有節形式で作曲することは滅多になく、むしろ韻文のリズムパターンからはほとんど自由である。バンショワは宮廷のために、恋愛や騎士道を歌った世俗歌曲を作曲した。これらはブルゴーニュ公の期待にたがわぬ出来で、明らかにブルゴーニュ宮廷で愛好された。