シューラ・チェルカスキー
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シューラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky, 1911年10月7日 - 1995年12月27日)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。本名アレクサンドル・イサーコヴィチ・チェルカスキー(Александр Исаакович Черкасский)。
[編集] 概要
オデッサに生まれるが、ロシア革命の勃発により家族とともにアメリカ合衆国に亡命。カーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンに師事してピアノの学習を続けた。知的で華麗な演奏様式はホフマンから引き継いだと言われる。最晩年まで積極的に演奏活動に取り組み、ライヴ演奏で数多くの録音を残した。シューマン、アントン・ルービンシュタイン、ラフマニノフ、ゴドフスキーが得意のレパートリーであった。
生涯現役を貫いたが、晩年の演奏・録音では体力や技術的な衰えが否めない。それでも彼は没年まで新たなレパートリーの探求をやめることはなく、来日時も「この年になって、シュトックハウゼンのピアノ曲第九番を覚えました」などとコメントし、周囲を驚嘆させていた。ショパンのバラード全曲演奏を大阪で演奏したのが、最後の来日公演となった。