シェーン
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シェーン Shane |
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監督 | ジョージ・スティーヴンス |
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製作 | ジョージ・スティーヴンス |
脚本 | A・B・ガスリー・Jr. |
出演者 | アラン・ラッド |
音楽 | ヴィクター・ヤング |
撮影 | ロイヤル・グリグス |
公開 | 1953年4月23日 1953年10月20日 |
上映時間 | 118分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 |
allcinema | |
IMDb | |
『シェーン』(Shane)は、1953年、パラマウント映画製作のアメリカの西部劇映画。カラー。西部劇の名作のひとつ。原作は1949年に書かれたジャック・シェーファーの小説。
1953年のアカデミー作品賞、監督賞、脚色賞ノミネート、撮影賞(カラー部門)を受賞。また、助演男優賞にブランドン・デ・ワイルドとジャック・パランスがノミネートされた。
さらに同年の英国アカデミー賞作品賞(総合)ノミネート。また、男優賞(国外)にヴァン・ヘフリンがノミネートされた。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
目次 |
[編集] あらすじ
流れ者のガンファイター、シェーンがたどり着いたワイオミング州の開拓地は、悪徳牧畜業者のライカー一味の暴虐に苦しめられていた。シェーンは、当初ジョー・スターレットらの開拓農民たちから疎まれるが、やがて和解する。
スターレットやその息子ジョーイと友情を結ぶシェーンだったが、スターレットの妻マリアンは彼に惹かれ、またシェーンも彼女に惹かれてゆく。
ライカー一味たちの弾圧はエスカレートし、ライカーは殺し屋のウィルソンを雇う。彼らは開拓農民を殺害するが、その暴虐に、農民達は結束して立ち向かうことを決意する。 この抗争に終止符を打つため、ライカーに独りで会いに行こうとするスターレットだったが、シェーンはこれを腕ずくで止め、独りライカー一味の元へ向かう。
ライカー一味やウィルソンとのガンファイトに、シェーンは勝利する。物陰から彼を狙いうとうとしたライカーの弟は、その場にかけつけたジョーイのとっさの助言で返り討ちにされる。しかし、シェーンもまた撃たれていた(詳しくはシェーン死亡説の項で解説)。
「シェーン!!カムバック!!」 必死でひきとめるジョーイの叫びを背景に、シェーンはワイオミングの山へと去っていった。 「グッバイ!シェーン…」ジョーイの最後の別れの声に送られるように。
[編集] シェーン死亡説
ジョーイの叫びが有名なラストシーンだが、決闘中の怪我が原因でシェーンが死ぬという説がある。 死亡説の根拠は以下の通り。
- 決闘の撃ち合い中、シェーンが撃たれていること。
- (とてもかすかな動きなのでわかりづらいが、スロー再生等をすると確かに撃たれていることがわかる。またその後にジョーイが、シェーンが撃たれて怪我を負っていることを述べている。)
- ジョーイの必死の叫びにまったく反応しなかったこと。
- 走り去ったシェーンの片手が力なく伸びていること。
- ラストシーンでシェーンがいる場所が墓場であること。
以上は、死亡説の根拠であるが、最後の1項を除いては、ただの「負傷説」とも見なせるかもしれない。
死ぬかどうかはさだかではないが、確実に言えることは、監督には死をほのめかす意図があることである。そして、死をほのめかす意図があったわけは、シェーンが死を覚悟で戦った、ということを示すことだ。(平然として生きながらえていては、シェーンの覚悟が伝わらないからだ。)
この映画で大切なのは、シェーンが死んだか否かではなくて、シェーンが死を覚悟で戦った、ということだ。それを見失って、「死んだか否か」を論じるのは、映画の見方としてはマトをはずしているかもしれない。
また余談だが、映画『交渉人』において、重要な場面でこのシェーン死亡説について語るシーンがある。
なお、シェーン生存説もある。末尾の外部リンクを参照。
[編集] キャスト
カッコ内は日本語吹き替え(日曜洋画劇場版)
- 主題曲『遥かなる山の呼び声』(The Call for Far-away Hills、作曲:ビクター・ヤング、歌:ドロレス・グレイ)
[編集] DVD
日本では東北新社が配給権を持つことから東北新社が正規版DVDを発売すべきところ、パラマウント社が異議を唱えたことから、どちらがDVDを出すかが決まらないため、日本では正規版DVDが発売されてない(VHSはCICビクタービデオから発売されたことがある)。
日本においては1953年の作品は著作権の保護期間が終了したものと考えられたことから幾つかの会社から格安DVDとしてリリースされた。しかし、東北新社とパラマウント社は著作権存続を主張した。2007年12月18日に最高裁で著作権保護期間終了の確定判決が下りたことで「シェーンの著作権は消滅した」と言う事が公に認められた。詳細は1953年問題を参照。