カイクバード
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カイクバード(1270年?-1290年)は、北インドを支配した奴隷王朝の第10代(最後)の君主。正式名はムイズッデーイン・カイクバード(在位:1287年-1290年)。
1287年に祖父で第9代君主のバルバンが死去した。バルバンには実子がいたが、この実子が王位継承権を放棄したため、代わって孫に当たるカイクバードが君主として即位することとなった。しかし20歳前後(生年は不明)の彼には統率力がなく、さらに祖父が存命中に厳しい統治を行なった反動から貴族の反発を受け、実権は貴族に握られて傀儡の立場に近かったとされる。
このため、カイクバードは国内で起こる政争に成す術もなく酒色に溺れるようになり、遂には過度の酒色が原因で半身不随にまでなったという。このため、バルバンの死後から勢力を拡大していたハルジー一族のジャラールッディーン・ハルジーによって1290年に暗殺(溺死させられたという)されたのである。
カイクバードを傀儡にしていた貴族は、テュルク系ながら他系統の民族の混血であるハルジーの台頭を快く思わず、カイクバードの遺児を擁立してハルジーを倒そうとしたが、逆に倒されて遺児も殺され、奴隷王朝はここに完全に滅亡したのである(遺児に関しては存命説もある)。