オルド・バリク
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オルド・バリクはウイグル帝国の王庭内にあった都城。別名、回鶻単于城。
オルド・バリクとは古代テュルク語で本拠地の城や軍都、本営などの意味を持つ。また、日本語の表記としてはオルドゥ・ヴァリュクなどもある。現在はカラ・バルガズン(黒き都市、廃墟の都市の意味)などとよばれ、その遺構が現存する。ただし、城壁などはほとんど残ってはいない。
遊牧民族であったウイグルはその騎兵の機動力を生かして、モンゴル高原から中央アジアまでを版図とした。それらの中心都市としてウイグルはオルド・バリクという都城を築いた。それは、ウイグル帝国の経済官僚であり、その経済基盤を支えていたソグド人が定住民であったためで、ウイグルの王族や将軍たちはオルド・バリクの周辺の草原に天幕を張って生活を営み、政治的な儀式などの用がないかぎり、オルド・バリクという都城には入らなかったといわれている。
オルド・バリクは草原のメトロポリスではあったであろうが、支配者が豪奢な生活を営むための宮殿などではなく、政権を維持するために集められたソグド人や漢人の経済官僚・商人・工匠(職人・技術者)が住み、軍事物資や食糧、兵器、武器が備蓄された軍事都市、政治都市だったと考えられている。
モンゴル帝国時代にはこの近くにモンゴル帝国の都、カラコルムがおかれたが、その機能もオルド・バリクに近いものであったと考えられている。