エンツォ・シーフォ
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ビンツェンツォ・シーフォ | ||
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名前 | ||
愛称 | エンツォ | |
ラテン文字 | Vincenzo Scifo | |
基本情報 | ||
国籍 | ベルギー | |
生年月日 | 1966年2月19日(42歳) | |
出身地 | ラ・ルビエール | |
身長 | 175cm | |
体重 | 70kg | |
選手情報 | ||
ポジション | MF | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
1973-1982 1982-1987 1987-1988 1988-1989 1989-1991 1991-1993 1993-1997 1997-2000 2000-2002 |
RAAルヴィエール RSCアンデルレヒト インテル・ミラノ FCボルドー AJオセール トリノFC ASモナコ RSCアンデルレヒト シャルルロワSC |
119(32) 28(4) 24(7) 67(25) 62(16) 91(20) 75(14) 12(3) |
代表歴 | ||
1984-1998 | ベルギー | 84(18) |
監督歴 | ||
2001-2002 2004-2006 2007- |
シャルルロワSC AFC Tubize REムスクロン |
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ビンツェンツォ・シーフォ(Vincenzo "Enzo" Scifo、1966年2月19日 - )は、サッカー選手、サッカー指導者。1980年代から1990年代のベルギーと欧州を代表するゲームメーカーの一人である。
[編集] 略歴
雑貨商を営むイタリア人家庭の子として生まれる。1982年に強豪のRSCアンデルレヒトへ入団すると直ぐに頭角を現し、ベルギー協会の要請もあって1984年5月にベルギー国籍を選択、ベルギー代表として同年6月の欧州選手権に出場。次代のスター候補として脚光を浴びた。
またベルギー国籍を選択した事で兵役が義務付けられたが、ベルギーの至宝という事や、所属するアンデルレヒトでもレギュラーとして試合出場していた事もあって、練習や試合に支障の無い形での兵役への参加が許可されたいうエピソードもある[1]。
その後、4大会連続でFIFAワールドカップに出場(1986年、1990年、1994年、1998年))し1986年のメキシコ大会では同国史上最高のベスト4進出に大きく貢献した。
引退後は指導者の道へ進み、現在はジュピラーリーグに在籍するREムスクロンの監督を務めている。
[編集] 注釈
- ^ サッカーダイジェスト1986年4月号-DIGEST INTERVIEW ROOM