エルンスト・アウグスト (ハノーファー王)
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エルンスト・アウグスト(Ernst August,1771年6月5日 - 1851年11月18日)はハノーファー王(在位:1837年 - 1851年)。イギリス王族であり、カンバーランド公の爵位も持つ。英語名はアーネスト・オーガスタス(Ernest Augustus)。イギリス王兼ハノーファー王ジョージ3世(ゲオルク3世)とシャーロット王妃の五男である。
ハノーファー選帝侯ゲオルク1世がイギリス王ジョージ1世となって以来、ハノーヴァー朝の歴代のイギリス王はハノーファー選帝侯、後にハノーファー王を兼ねていた。ジョージ3世の死後、両王位は長男ジョージ4世(ゲオルク4世)と三男ウィリアム4世(ヴィルヘルム)が相次いで継承したが、2人の正嫡の子供はともに早世していた。そのため1837年にウィリアム4世が死去すると、イギリス王位はジョージ3世の四男ケント公エドワードの遺児ヴィクトリアが継承した。しかし、ハノーファーはサリカ法典に基づいて女子の王位継承を認めていなかったため、エドワードの弟であるカンバーランド公アーネストが継承することとなり、イギリスとハノーファーの同君連合は解消された。
ハノーファー王国では1833年、イギリスの影響を受けた新憲法が定められ、自由主義的な政治が行なわれていた。しかし、新たにハノーファーのみの王となったエルンスト・アウグストは、即位早々に新憲法の破棄を宣言し、反動的な政策を行なった。そして、これに異議を唱えたグリム兄弟をはじめとするゲッティンゲン大学の教授7人が追放あるいは免職になるという事件(ゲッティンゲン7教授事件)が起こった。
[編集] 家族
1815年にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世の娘で従妹に当たるフリーデリケと結婚した。フリーデリケにとっては3度目の結婚であった。2人の間には2子が生まれた。
- フリーデリケ(1817年、夭折)
- ゲオルク5世(1819年 - 1878年)
[編集] 逸話
ジョージ3世の王子達は品行が良くないことで有名だが、エルンスト・アウグストになると完全に常軌を逸していたと言っても良い。些細なことで従僕を殴り殺したり、強姦未遂事件も頻繁に起こしていたと言う。だが、これは序の口で、驚くべきことには妹のソフィアと近親相姦を繰り返していたと言われている。後のガース大尉は、その近親相姦で生まれた子だと言われている。
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