エイブ・アッテル
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エイブ・アッテル(Abe Attell、本名:Abraham Washington Attell 、1884年2月22日-1970年2月6日)は、アメリカ、サンフランシスコ出身の元プロボクサー。ユダヤ系。元世界フェザー級チャンピオン。わずか17歳8ヶ月でフェザー級王座に就き(ただし一部から異論がある)、11年4ヶ月の長きにわたってこれを保持した。同級史上最強のチャンピオンの一人とされてれる。
[編集] 略歴
サンフランシコの貧しい家庭に生まれ、周囲のユダヤ系に対する差別から喧嘩に明け暮れた。近所の悪童との喧嘩に負け、仕返しをとボクシングジムの門を叩いた。1900年、その悪童との試合に勝って報酬を手にしたことからプロの道へ。
デビューからわずか4ヶ月で16試合を戦って全勝(15KO)という天才ぶりを発揮。1901年にはジョージ・ディクソンと戦って勝ち、世界チャンピオンとなる。このとき17歳8ヶ月であった(しかし、この時のタイトル獲得には専門家から疑義が呈されており、世界チャンピオンとして広く認められたのは1906年、ジミー・ウォルシュとの試合に勝利してからである)。
以降11度の防衛を果たし、11年4ヶ月にわたって王座に君臨したが、1912年2月、ジョニー・キルベーンに20回判定負けし、遂に王座を手放した。
身長158センチと体格には恵まれなかったが、強打と技巧、そして狡猾さを兼ね備え、ライト級やウェルター級の選手とも戦うなど、当時としては卓越した強さを誇った。しかし、希代の技巧派ジム・ドリスコルを始めとする強豪とは無判定試合(KO以外では勝敗を付けない取り決めで行われる試合)でしか戦わなかったと言われたり、また引退後に野球賭博絡みの大規模な八百長に関与した疑いが持たれる等、リング外での話題にも事欠かないカラフルなチャンピオンだった。85歳の長寿を全うした。
[編集] 通算戦績
92勝(51KO)10敗18引分け45無判定