ウィリアム・フーパー
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ウィリアム・フーパー(英:William Hooper、1742年6月28日-1790年10月14日)はアメリカ合衆国ノースカロライナ州の政治指導者であり、アメリカ独立宣言に署名した。
フーパーはマサチューセッツのボストンで、エディンバラ大学で学んだ後にスコットランドから移民してきたウィリアム・フーパーの息子として生まれた。父親のフーパーはボストンのトリニティ教会で牧師をしており、その息子をボストン・ラテン学校に入れた。息子のフーパーは15歳でハーバード大学の2年次に入学し、1760年に卒業した。法律を学び、1767年にノースカロライナのウィルミントンに移住した。ノースカロライナに行く前にジェイムズ・オーティスに付いて法律の修行をしていた。
フーパーはノースカロライナのヒルズボロで弁護士としてしばらく過ごし、「世直しの戦争」(1764-1771)に反対した。
1774年にノースカロライナを代表して大陸会議の代表に選ばれ、1776年にアメリカ独立宣言に署名した。