アントワーヌ (ロレーヌ公)
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アントワーヌ・ド・ロレーヌ(Antoine de Lorraine, 1489年6月4日 - 1544年6月14日)は、ロレーヌ(ロートリンゲン)公(在位:1508年 - 1544年)。善良公(ル・ボン:le Bon)とも呼ばれた。ロレーヌ公ルネ2世の長男としてバル=ル=デュックで生まれた。弟はギーズ公クロード。
1538年、エフモント伯カレルが子供のないまま亡くなったため、カレルの妹フィリッパを母にもつアントワーヌはゲンデルン公位とズトフェン伯位を請求したが、承継はできなかった。また、彼は対抗改革の推進者であり、治世の間に何度か起こった住民の暴動を鎮圧した。
1515年に結婚したルネ・ド・ブルボン=モンパンシエ(ブルボン家支流、モンパンシエ公シャルル3世の妹)との間に、6子を得た。
- フランソワ1世(1517年 - 1545年)
- アンヌ(1522年 - 1568年) オランジュ(オラニエ)公ルネ・ド・シャロンと結婚。
- ニコラ(1524年 - 1577年) メルクール公、ヴォーデモン伯
- ジャン(1526年 - 1532年)
- アントワーヌ(1528年、夭折)
- エリザベート(1530年、夭折)
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