アントニオ・ドラーギ
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アントニオ・ドラーギ(Antonio Draghi, 1634年か1635年 - 1700年1月16日)は、バロック音楽の作曲家。
イタリアのリミニに生まれる。彼は、当時の多作な作曲家の一人で、イタリアのオペラの発展に重要な貢献をした。彼の音楽家としてのスタートは、パドヴァでの少年聖歌隊員だった。1657年、ヴェネツィアで上演されたオペラ「La fortuna di Rodope e di Damira」で、はじめて舞台で歌った。1666年、オペラ「La Mascherata(仮面舞踏会)」では独唱を勤めた。
1668年、ドラーギはウィーンの神聖ローマ皇帝レオポルト1世の宮廷に招かれ、死ぬまでそこにとどまった。