アワミ連盟
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アワミ連盟(アワミれんめい、ベンガル語বাংলাদেশ আওয়ামী লীগ Bāŋlādeś Āowāmī Līg)は、バングラデシュの主要な政党。別名をBangadesh People's Leagueといい、現在はイスラム協会、バングラデシュ民族主義党と並んでバングラデシュの三大政党のひとつ。政策は親インド的といわれる。
All Pakistan Awami Muslim League としてフセイン・シャヒード・シュラワルディにより(Huseyn Shaheed Suhrawardy)1949年結成された。1955年、党名から「ムスリム」の語が落とされた。設立当初は、パキスタンの離れた地域にまったく同名の政党が離れた地域にそれぞれ設立されたため、名称をめぐる混乱があった。ひとつはシェイク・ムジブル・ラフマンによる Maulana Abdul Hameed khan であり、もうひとつは 'Peer Manki Shareef' による北西パキスタン(en:North-West Frontier Province, Pakistan)の政党である。1950年両党はシュラワルディを党首とする All Pakistan Awami Muslim League として合併した。1954年、アワミ連盟は協力関係にあった政党とともにパキスタン総選挙に勝利し、その結果シュラワルディはパキスタンの第5代目首相に就任し、ムジブル・ラフマンは閣僚となった。1957年、Maulana Abdul Hameed Khanが National Awami Party の名のもとに分離して新しい政党を作った。1970年のパキスタン総選挙では、アワミ連盟は東パキスタンで162議席中160議席を獲得したが、北では1議席も得ることができなかった。1971年にバングラデシュが独立すると、連立政党を持たない第1党として政権を握った。
現在の党首は、ムジブル・ラフマンの娘であるシェイク・ハシナである。アワミ連盟はパキスタン独立後、8年半の期間を除くと、つねに政府与党であった。1972年以降、ムジブル・ラフマンの指導下で、政府官僚の腐敗や飢饉対策の不十分さから人心が離反した。1975年8月15日、軍将校とCIA工作員によるクーデターがおき、現職の大統領であったムジブル・ラフマンと同居の家族がダッカで殺害された。
[編集] 外部リンク
- AL official site
- バングラデシュ:政界再編への模索 略年表と各国政選挙および大統領選投票率