アレクシス・ワイセンベルク
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アレクシス・ワイセンベルク(Alexis Weissenberg、1929年7月26日 - )は、ブルガリアのソフィア出身のピアニスト。現代の音楽界で巨匠と称される音楽家のひとりである。
[編集] 人物
1927年7月26日ブルガリアのソフィアに生まれる。 幼い頃から作曲家のウラディゲロフに作曲とピアノを学び、ピアニストとしてのデビューは14歳の時であった。
第二次世界大戦中は収容所に入れられ、苦難の日々を送るが、イスラエルを経てアメリカに逃れる。 その後、46年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学。現在としても良く知られているピアニスト、サマロフ、ランドフスカ、そしてシュナーベルの指導を受けた。卒業した時には、ワイセンベルクは各国から招かれたほどの有名な学生になっていた。1947年に、レヴェントリット国際音楽コンクールで優勝。 同年、ジョージ・セル指揮、ニューヨーク・フィルハーモニックと共演し華々しくデビューを飾る。 その後、1956年から約10年間、自分の音楽を鍛えなおすために、演奏活動から身を引く。 66年、パリでのリサイタルで奇蹟的な復活を遂げると、67年からはカラヤンと競演を重ねる。 以降、コンサート、レコーディングを精力的に行い一流ピアニストとしての地位を不動にした。
72年、28年ぶりに祖国ブルガリアに帰国。政府から「キリル・イ・メソディ賞」を授与、75年に名誉市民権を与えられた。
ワイセンベルクの演奏の仕方は、上体をほとんど動かさず、腕の角度も模範的である。しかし、彼の演奏、そして音は我々聴衆の心に響き、そして、目もくらむような鮮やかな技巧で鳴り響く。音は、クリアで歯切れが良い。細かいパッセージまで1音1音が粒がそろって細かく聞こえる。また、音の強弱の幅も豊かであり、一種のスケールの大きさを持っている。そして、その音には独特のロマンチックな潤いが秘められている。
1973年に、カラヤン・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の名演はあまりにも有名で、同曲を代表する録音として人気が高い。