アフォンソ1世 (ポルトガル王)
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アフォンソ1世(Afonso I, 1109年7月25日 - 1185年12月6日)は、ポルトガル王国を建国したブルゴーニュ王朝の初代ポルトガル王(在位:1139年 - 1185年)。父はブルゴーニュ家出身のポルトゥカーレ伯エンリケ(フランス語名アンリ、公位を継いだユーグ1世、ウード1世の弟)。母はカスティーリャ=レオン王アルフォンソ6世の庶子テレサ。
1112年に父の後を継いでポルトゥカーレ伯になるが、母の摂政下にあった。しかし、1120年に母と対立し、追放される。1122年、アフォンソは14歳で自立し、1128年に母とその愛人ガリシア伯と対戦し彼らを追放した。さらに、宗主国であるカスティーリャ=レオン王国と戦い、1129年にポルトゥカーレ公として独立した。
その後、南部のイスラム勢力と戦い領土を広げ、1139年7月26日にオーリッケの戦いで大勝を収めると、ポルトガル王を称した。カスティーリャ=レオン王アルフォンソ7世は独立を認めず、アフォンソ1世はアラゴン王国と同盟し、これと戦った。1143年に和平が成立し、ポルトガル王国が承認された。
1145年、サモラ会議に参加したローマ教皇イノケンティウス2世の特使を通じ、教皇にポルトガル領土を寄進する「封建申請書」を提出し、毎年金4オンスの奉納を約束した。1147年にイングランド方面からの第2回十字軍の分派の助けを得て、リスボンを獲得した。1179年に教皇アレクサンデル3世から正式な承認を得て、ポルトガル王国は国際的に認められた。1185年に亡くなり、コインブラのサンタ・クルース教会に葬られた。息子のサンシュ1世が後を継いだ。
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