X-20 (航空機)
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X-20はアメリカ国防総省で構想された宇宙偵察機。愛称はダイナソア。
[編集] 歴史
1950年代末、米国防総省は占領したナチス・ドイツから持ち帰ったゼンガー計画の計画書に影響され、独自の有人宇宙機を構想した。これはロケットで垂直に打ち上げる宇宙航空機で、上昇後は水面上を跳ねる小石のように大気圏上層部をスキップして飛行し(ダイナミック・ソアリング)、目的地上空に到達した後は高解像度カメラを使った偵察を行うほか、最終段階では宇宙から核爆弾による爆撃を行うというものであった。1956年に1人乗り有人ロケット偵察爆撃機計画として正式に開発スタートした本機の用途は前述したように軍用宇宙機であったのだが、その目的をカムフラージュする為か実験・研究機であるX-シリーズの一員としてX-20の名称を与えられ、1959年には宇宙往還機の研究用としてボーイングに発注された。なお、本機のダイナソアの愛称は、前述した飛行方法ダイナミック・ソアリング(Dynamic-Soaring)を略したDyna-Soarから取られている。
1961年に本機の実物大モックアップが完成し、1962年にはニール・アームストロング(後にアポロ11号船長として初めて月面に降り立った)を始めとするパイロット6名が選抜された。その後は、1963年にB-52爆撃機に搭載して滑空テストを行い、1966年に初の打ち上げが行われる予定であった。
しかしながら、当時アメリカ航空宇宙局(NASA)がマーキュリー計画を進めており、本機のモックアップが完成した同じ年の5月には、マーキュリー3号がアメリカ初の有人宇宙飛行に成功していた。また、マーキュリー計画の後継かつ発展的計画であるジェミニ計画も1962年から開始されていた。費用対効果という観点から超音速戦略核爆撃機XB-70の開発を中止させる等、無駄な国防予算の削減を行っていた時の国防長官マクナマラは、(宇宙への二重投資とも言える)本機とその開発計画についても厳しい査定の目を向けた。
そして、莫大な経費に対して効果が薄いという理由により1963年に本計画の中止を決定。X-20は実機を作ることなく計画は終了し、その時点で製作済みだった実物大モックアップと関連資料については破棄された。
[編集] 機体形状
X-20は72度の後退角を持つデルタ翼機で、大気圏再突入時を考慮して大きめのデルタ翼の上に胴体が載っている構造となっている。また、デルタ翼の翼端には、ウィングレットのような巨大な垂直安定版が設けられていた。後のESAのエルメスや、NASDAのHOPE-Xに酷似した形状である。 タイタンロケット(二段式)もしくはサターンロケット(3段式)により垂直に打ち上げられ、大気圏突入後は水平に滑空して帰還する。降着装置は橇である。
- 全長10.77 m
- 全幅6.22 m
- 全高2.44 m
- 自重4,912 kg (全備重量5,167 kg)
- 到達速度26,827 km/h
- 到達高度16.7 km
[編集] 参考文献
- 「Xの時代-未知の領域に踏み込んだ実験機全機紹介」,世界の傑作機シリーズSpecial Edition3(文林堂)
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