ECW
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ECW(Extreme Championship Wrestling、あるいはEastern Championship Wrestling)は、かつてアメリカに存在したプロレス団体の名称、およびWWEのプロレス番組。
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[編集] 特徴
団体としての活動は、1992年から2001年まで。2006年以降はWWEの番組チームの一つとして復活している。団体設立から1年半までの当初を除き、プロデューサーは一貫してポール・ヘイマンが務めている。
インディ団体ならではの試合に主眼をおき、凶器攻撃の許可、リングアウト・カウントの廃止などを設定したECWルールを定め、独自の世界感を作りだした。3ウェイダンスなどの試合形式も特徴であった。しかし団体のキャッチコピーでもあったハードコア、エクストリームとは決してこの様なハードコアマッチ路線のみを意味するのではなく、ジャパニーズ・スタイル、アメリカン・スタイル、ルチャリブレ、ハードコア・スタイルなどあらゆるタイプのプロレスの真髄を追及する、というのが団体の基本コンセプトであった。ヘイマンに言わせればECWとは「反体制のライフスタイル」である。
このコンセプトによって、体は大きくないものの、技のキレやシリアスな勝負を持ち味とするいわゆる「ジャパニーズ・スタイル」のレスラーに活躍の場を与えたことも特筆される。クリス・ベノワ、エディ・ゲレロなどはここをきっかけにスターへの足がかりをつかんだ。またそういったスタイルに触れるには海賊版ビデオを手に入れるしかなかったアメリカのマニアとファンの支持を広く取り込み、さらに人気を拡大させた。レイ・ミステリオやシコシスもECWをきっかけにアメリカでもスター選手としての地位を築いた。
熱狂的なファンも大きな特徴の一つであり、ファン、選手が一体となって興行を行っている雰囲気もあった。特に有名なのは必ず最前列に座っている麦わら帽子の男性とサングラスをかけた男性。あらかじめ用意されていたマネキンの頭部をリングに投げ込んだり、興奮したファンがリングを支配してジャンプしている最中にリングが崩壊する光景などが有名である。また、「ECW!」「Holy shit!(超すげえ!、クソすげえ!などの意)」など、チャントと呼ばれる様々なコールが存在した。現在もWWEにて一部ファンのチャントととして聞くことができる。レスラーに渡す凶器を持参するファンも多かった。
試合会場は町のビンゴ・ホールを使用しており、後にECWアリーナと名付けられた。現在もニュー・アルハンブラの名で存続しており、インディ団体の聖地となっている。
日本及びメキシコのプロレス団体との交流を積極的に行っていた。日本からはみちのくプロレスおよびFMWの選手が多数登場した。田中将斗はECW・世界ヘビー級王座を戴冠し、海援隊のメンバーはbWoのメンバーであったなど、多くの選手が活躍を残している。
[編集] 歴史
[編集] ECW
宝石商を本職とするトッド・ゴードンにより1992年、ペンシルバニア州フィラデルフィアに設立。設立時はEastern Championship Wrestlingの略称であった。NWAに加盟する団体の一つであった。当初はジミー・スヌーカ、ドン・ムラコ、ティト・サンタナなど元WWFのベテラン選手たちが多く参戦していた。ゴードンはプロレスファンではあったが業界に関しては素人で、団体は行き詰まり1993年9月18日、ゴードンの依頼により当時失業中だったマネージャーのポール・ヘイマンが団体のプロデューサーに就任。以降、元々熱狂的プロレスマニアだったヘイマンの独自のブッキングにより、ECWはアメリカプロレス界の革命児として伝説を創ることとなる。新たな団体の象徴としてテリー・ファンクが合流した以外は、サンドマン、サブゥー、トミー・ドリーマー、シェイン・ダグラス、タズマニアックなど当時アメリカではほぼ無名だった選手たちが団体の顔となった。
1994年8月27日、前年にWCWがNWAを脱退したため空位となっていたNWA世界ヘビー級王座を巡るトーナメントが開催され、シェイン・ダグラスが優勝。しかしその場でNWA王座ベルトを投げ捨て、もはやNWAなど無価値、ECWの方が格上だとマイクアピールし、団体もNWAから離脱。1995年頃にはWCWと協力していた時期もあり、WCWでは変わり者扱いされていたカクタス・ジャックが頻繁にゲスト参戦を果たしてハードコア・マッチを展開していた。
1996年にはヘイマンがゴードンからECWを買収、自ら社長に就任し、団体名もExtreme Championship Wrestlingに変更された。またこの年には上記のメンバーと並び団体の象徴の一人となるサブゥーの弟弟子ロブ・ヴァン・ダムがECWデビューを果たしている。
1997年4月3日には初めてPPVベアリー・リーガル(Barely Legal)を開催し、全国展開を開始。またビンス・マクマホンがECWに対して資金援助を行っていた関係から一時的にWWFと業務提携し、サンドマン、トミー・ドリーマーら数人のレスラーがWWFのリングに登場し、逆にWWFからもジェリー・ローラーがECWの大会に出場した。この前後2年間ほどがECWの絶頂期と見ていいであろう。しかし団体のメジャー化は主力レスラーや人気レスラーが次々とWWFやWCWに引き抜かれるという事態を招くことにもなった。もっとも、多くの選手が他団体ではその個性を活かし切れず、前座止まりでECWへ復帰している。
1999年夏からTNN局(現Spike TV)と3年契約を交わしケーブルテレビでの放送にも進出した。しかしヘイマンの経営者としての手腕の低さや、その企業イメージの悪さなどによって圧倒的に局側に有利な条件での契約が結ばれた。TV放映権料もほとんど取れず、局側の審査官によって細かく禁止の映像表現や放送禁止用語が設定されたためにECWはその過激さを奪われた。また毎週の番組制作費やPPVの広告費が収益を越え、自転車操業を繰り返したために赤字は加速度的に膨らんでいった。2000年秋、TNNはWWEのRAW IS WARの放送契約を得ると一方的にECWとの契約を破棄し、テレビ放送は終了。PPVを開催する度に負債額は増えて選手へのギャラも払えなくなり、2001年1月13日の大会をもって団体は活動を停止。同年4月、ECWは倒産しヘイマンも自己破産を申告。債務処理が開始され、6月25日付けで前述のように債権者の一人であったビンス・マクマホンがECWに関する一切の権利を買い取った。
[編集] ECW-アライアンス
活動終了後、暫くの間ECWは表舞台から姿を消していたが、同年3月にWWFがWCWを買収していたことから結果一時的とは言え復活することとなる。
ビンス・マクマホンに反旗を翻したシェイン・マクマホンが、ビンスを出し抜いてWCWを買収し、その後宣戦布告をした際に、その強力なパートナーとして登場したのがステファニー・マクマホンが社長に就任し、WWFに移籍していた旧ECW所属レスラーの一部を引き抜き、さらにECW崩壊後フリーランスになっていたロブ・ヴァン・ダムとトミー・ドリーマーを新たに加えて復活したECWだった。
復活したECWとWCWは連合して「アライアンス」を結成し、WWFに登場する一大ヒール集団となり、WWF正規軍との抗争を繰り広げた。
しかし、WCWから契約をテイクオーバーされるなどして移籍してきたレスラーのほとんどが、使えないと判断され解雇やファーム落ちを通告され、さらに「アライアンス」にWCWスーパースターとして新加入したクロニック(ブライアン・アダムス&ブライアン・クラーク)が、その試合内容の悪さから短期間で解雇されるなどしたことから、商品価値が急落する。 そのためわずか半年足らずでWWF対「アライアンス」の抗争は終止符が打たれることとなり、WWF認定の各タイトルとの王座統一戦に、「アライアンス」の王者全員が敗退したことを受け、「アライアンス」は全員解雇となり、団体抗争ストーリーが終了した。 そしてECWの名前は再び表舞台から消滅することになる。
[編集] ECW-WWE
2005年6月12日に、かつてのECW所属選手およびWWE所属のECW出身選手を集めて、一夜限りのECW復活であるECW ワン・ナイト・スタンドというPPVが行われた。(このWWEのプロジェクトに反抗して、二日前にはシェイン・ダグラス、レイヴェンが中心となって『ハードコア・ホームカミング』という大会が旧ECWアリーナで開催されている。)
また2006年6月11日にも、前年に引き続きECW ワン・ナイト・スタンドというPPVが行われたが、かなりWWEの色が濃くなっていたり、ECWが買収された当初のWCWと同じ様な感じになっていたりと(特に前宣伝において)、前年とはかなり印象の異なる大会となった。特に今回は、ダッドリー・ボーイズ(ババ・レイ・ダッドリー&ディーボン・ダッドリー)やライノら、TNA所属の元ECW所属レスラーが登場せず、ECWに在籍した経験のない選手の試合も多く、それがやはり前回よりもECWの復活という印象を弱めた結果となってしまった。
2006年に入り、その根強いECW人気を受けてWWEは傘下の団体としてECWの復活を決定した。ブッカーにはポール・ヘイマンおよび現役を引退してWWEのブッカーとなっていたトミー・ドリーマーが就任することとなった。
しかしこのWWEが復活させたECWは、かつてのEC"Fuckin'"W(放送禁止用語のため、オフィシャルTシャツなどの表記はEC"F'N"W)とは似て非なる物であり、あくまでビンス・マクマホンがECWとはこう言う団体だろうと考えた物の具現化でしかないことや保護者団体に圧力により以前のような試合をできないでいる。そのため、現在ECWに所属しているエクストリーミストも、そしてもちろんポール・ヘイマン、観客や視聴者も、その違和感に苦しみながら試合をし、観戦および視聴をしているのである。そのため人気も注目度も上がらず、興行収益でも視聴率でもWWE本体とは比べ物にならないくらいに苦戦をしている。
当然WWEとしてもただ手をこまねいているのではなく、ルネ・デュプリーをRAWから移籍させたり、ケヴィン・ソーンを新たに登場させたりしてはいるが、テコ入れすればするほどにEC"Fuckin'"Wから遠ざかってしまっているのが現状である。
また、シェイン・ダグラスやダッドリー・ボーイズ(ババ・レイ・ダッドリー&ディーボン・ダッドリー)、レイヴェンら、ある意味ECWの象徴ともいえるレスラーの姿が無い事もまた、その違和感に拍車をかけている事実もある。これは彼らがTNA所属であることが最大の要因と考えられている。(むしろTNAの方が過激な試合が繰り広げられる事が多い)事実、ECW ワン・ナイト・スタンドにも当初から名前が挙がっていなかったことから、今後もこの3組がECWのリングに復帰する可能性は現状では低いと見られている。
2006年末、ECW世界ヘビー級王座に新鋭のボビー・ラシュリーが就き、ハードコア・ホーリーやロブ・ヴァン・ダムなどがそれを追う展開となる。
また、サンドマンやサブー、ボールズ・マホーニーなど、かつてECWに席を置いた者たちを元祖ECWと位置づけ、ビンス・マクマホンが彼らを露骨に嫌い、イライジャ・バークら若手(ニュー・ブリード)を送り込んで抗争に発展するというストーリーが組まれた。
[編集] 現状
現在のECWはもはや過去のECWの形は面影も無い。エクストリームルールでの試合が行われる事が少なく、ECWと言うよりも、WWEの第三団体と言った所。 代表するようなスターレスラーが所属していない事も団体の痛手であり、人気は他の団体に比べ明らかに劣っている事が分かる。
[編集] 所属選手
2006年のECW復活以降の所属選手についてはWWEに所属する人物一覧#ECWを参照のこと。
2001年までの、独立団体としての時期にかつて所属していた代表的な選手は以下のとおりである。
- アル・スノー
- アクセル・ロッテン(バッド・ブリード)
- イアン・ロッテン(バッド・ブリード)
- エディ・ゲレロ
- キッド・カッシュ
- クリス・ジェリコ
- クリス・ベノワ
- サブゥー
- サンドマン
- シコシス
- C・W・アンダーソン
- シェイン・ダグラス (トリプル・スレット)
- ジャスティン・クレディブル(インパクト・プレイヤーズ)
- ジョン・クローナス(ジ・イリミネーターズ)
- スーパー・ノヴァ
- スティービー・リチャーズ
- スペル・クレイジー
- 田尻義博
- タズ
- ダッドリー・ボーイズ
- 田中将斗
- テリー・ファンク
- ディーン・マレンコ
- トミー・ドリーマー
- 911
- ニュー・ジャック(ギャング・スターズ)
- パブリック・エネミー
- バン・バン・ビガロ
- ピットブルズ
- ブルー・ミーニー
- ペリー・サターン(ジ・イリミネーターズ)
- ボールズ・マホーニー
- マイク・オーサム
- ライノ
- ランス・ストーム(インパクト・プレイヤーズ)
- リトル・グイドー(フル・ブラッド・イタリアンズ)
- レイ・ミステリオ
- レイヴェン
- ロブ・ヴァン・ダム
- ロン・シモンズ
- "ザ・スカル"ヴィトー・ログラッソ
[編集] タイトルホルダー
- ECW・世界ヘビー級王座
- ECW世界タッグ王座
- ECW世界TV王座
- ECW・FTW世界ヘビー級王座
- ECW・メリーランド州ヘビー級王座
- ECW・ペンシルバニア州ヘビー級王座