CIMA (プロレスラー)
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CIMA | |
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プロフィール | |
リングネーム | CIMA SHIIMA シーマ・ノブナガ 大島伸彦 |
本名 | 大島伸彦 |
身長 | 173cm |
体重 | 82kg |
誕生日 | 1977年11月15日(30歳) |
出身地 | 大阪府堺市 |
所属 | DRAGON GATE |
トレーナー | ウルティモ・ドラゴン ドス・カラス |
デビュー | 1997年 |
CIMA(しーま、1977年11月15日 - )は、日本のプロレスラー。DRAGON GATE所属。本名:大島 伸彦(おおしま のぶひこ)。大阪府堺市出身。血液型O型。3人兄弟の末っ子。
闘龍門の旗揚げメンバーであり、一期生でもある、DRAGON GATEの中心選手。そのプロレスセンスとお笑い芸人顔負けのマイクパフォーマンスで、多くのファンの心を掴む。Typhoon所属。
目次 |
[編集] 経歴
中学生のころ、兄と見に行ったウルティモ・ドラゴンのプロレスを見て感動し、プロレスラーを目指す。高校生の頃は部活にも入らず、トレーニングとバイトの日々を送る。時にはバイトのために学校を休むことさえあった。貯まりに貯まったアルバイト代であるが、単身メキシコへ渡りドス・カラスから指導を受けたことによって、ほぼゼロになってしまう。その後、電話で母の声を聞きホームシックにかかってしまい日本に帰国するが、その後もプロレスのためのバイトとトレーニングを3年間続ける(この時非公認ではあるが、プロのリングでの試合も経験)。
その後ウルティモ・ドラゴンが立ち上げるというプロレススクール『闘龍門』の記事を見て一念発起。その一期生に応募。一期生の枠4人のうち、すでに旗揚げ以前からウルティモ・ドラゴンと面識のあった黒木克昌(マグナムTOKYO(引退))、藤井達樹(現:ドン・フジイ)、諏訪高広(SUWA(引退))の3名が決定しており、最後の1人を決める際に、ウルティモ・ドラゴンが知人である三遊亭楽太郎の夫人に依頼して、選ばれたのがCIMAである。
伝説のユニット、C-MAX(クレイジーマックス)を一期生のSUWA、ドン・フジイとともに結成(その後TARUが加入し、4人体制に)、最年少ながらリーダーとなる。
CIMAは2000年に開催された第3回スーパーJカップにおいて、決勝で獣神サンダー・ライガーに敗れるもののジュニアの猛者の中、見事準優勝に輝き、一躍日本のジュニア界にその名を知らしめることとなる。
その後、M2Kやイタリアンコネクションと抗争を繰り返し、2004年闘龍門から独立したDRAGON GATEでも押しも押されもせぬエースとなっている。C-MAX解散後は後継軍団ともいえるブラッドジェネレーション(BGと表記されることが多い)を結成。ヒール集団として暴れまくるも、Gammaが加入してから徐々に確執が表面化し、ユニットは分裂。ROHのメンバーを加えて国際派BGを結成、その後BGを解消して、ドラゴン・キッドや横須賀享、斉藤了らとタイフーンを結成した。
2006年11月23日にGammaとの敗者髪切マッチに敗れ、丸坊主にされた。しかし今現在では元の髪型に戻っている。 2007年7月神戸ワールド記念ホールで獣神サンダー・ライガーを破りオープン・ザ・ドリームゲート王座を奪取。2007年10月8日ツインメッセ静岡でストーカー市川を破り、オープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取して2冠王(?)となった。
2007年9月22日大田区大会で行われた、オープン・ザ・ドリームゲート戦(対土井成樹)で首を負傷。しばらくはそれを感じさせないファイトを繰り広げていたが、2008年4月頃から首が悪化。それでも出場を続けたが、5月5日の名古屋大会を最後に欠場。
[編集] リングネーム
CIMAが現在、過去に用いていたリングネーム
- 大島伸彦
- シーマ・ノブナガ
- SHIIMA
- CIMA(現在も使用中)
CIMAの名の由来は当時修行していたメキシコの人々がオオシマという発音がうまくできず、オッシーマとなってしまうことからとったされている。他に、当時兄が乗っていた車、日産のシーマがかっこ良かったから、という説もある。
[編集] 得意技
他の選手と同じ技を使いたくないという拘りを持っているため、数多くの高度なオリジナル技を持っている。
[編集] 打撃技
- ヴィーナス
- 相手をコーナーに座らせてのジャンピング・アッパー掌底。人魚をイメージした技らしいのだが、CIMAの勘違いにより、マーメイドではなくヴィーナスになった。相手のトペ・スイシーダなどの技を迎撃する時にも使われる。斉藤了とのオープン・ザ・ドリームゲート王座戦では、グーパンチ式で放った。
- 串刺し式ジャンピングニー
- コーナーにもたれた相手へのジャンピングニー。CIMAは片膝ではなく、両膝をぶつけていく。
- バカタレ・ヘッドスライディング
- 膝立ちの相手にダッシュしてスピアーのように頭から突っ込む技。ドリームゲート王座に挑む土井成樹の「バカタレ・スライディングキック」に対抗して作られた。
- 逆水平チョップ
打撃わざとしてたまに使用する。この技でマグナムTOKYOを引退に追い込んだ。
[編集] 関節技
- ブラド・シルク・ロード(元L.A.MART(エル・エー・マート))
- ルチャリブレでトケ・エスパルダスと呼ばれる丸め込み技。技名はCIMAの入場時に着用するネックチェーンなどを作っているアクセサリーショップの名前から。
- サソリ座固め
- サソリ固めと似ているが、クロスした相手の足の間には自分の足を入れない。変形のボストンクラブ。相手の足を4の字に固めてステップオーバーし、自身の膝裏で相手の曲げた足を引っ掛ける形で固める。
[編集] 投げ技
- シュバイン
- ドイツ語で豚という意味の落とし技。レスリングのタックルの要領で相手を担ぎ上げ、そのまま首から落下させる危険な技。現在では担ぎ上げた後に相手の首を右手で持ち直し、危険度を調節出来るようになっている。ドンフジイと練習中に、タックルに行ったCIMAがたまたまフジイを持ち上げてそのまま頭から落としたことが誕生のきっかけと言われている。その後、より体重の軽い横須賀享を練習相手として完成させたといわれている説が一番有力であるが、それ以外にレスリング経験の練習生と練習で思いついた、また夢の中に出てきたなど、その開発経緯は諸説語られている。名前の由来はBUCK-TICKのメンバーのソロプロジェクトから。
- 現在では相手の足を交差させ、リストクラッチをし、さらに危険度が増したシュバイン・レッドライン、担ぎ上げた状態のまま締め付けるシュバイン固め(CIMA曰くオリンピック級の技なので次に出すのは4年後)なる技も登場。雪崩式で繰り出すシュバイン・シュタイナーもここ一番で見せる。
- クロスファイヤー
- クロスアーム式の変型パワーボム。相手の右膝裏から左手首を、左膝から右手首を取り、腕を完全にロックして持ち上げるため受身がまったく取れない。2005年秋ごろに開発した新技。最初は「浜松バスター」(静岡の浜松の会場で初めて使われた技)という名前だったが、ファンの受けが悪く暫く「クロスアーム式変型パワーボム」と表記されていた。しかし威力は強く、獣神サンダー・ライガーからドリームゲートのベルトを奪還したのもこの技である。試合後ライガーは「あんなの人死ぬぞ!!」と言わしめるほどの威力を誇る。
- 2008年に行った吉野正人とのオープン・ザ・ドリームゲート王座戦ではクロスファイヤーで叩きつけた後、相手の腕を持ったま後方へ倒れ込み、両足で相手の首を挟み込む関節技クロスファイヤー・ナシエンテを披露した。
- パーフェクトドライバー
- 相手の足を4の字に交差させた状態でみちのくドライバーIIの要領で相手を逆さに担ぎ上げ、マットに叩きつける技。TAKAみちのくとの抗争時、みちのくドライバーIIに対抗するために作られた。パーフェクトは当時のCIMAの入場曲のタイトルから(現在は同曲に歌詞をつけたアレンジ版を使用)。
- ネジと橋
- パーフェクトドライバーの要領で相手をクラッチし、フィッシャーマンズ・スープレックスのように後方に反り投げる技だが、本人曰く「パーフェクトドライバーとはまったくの別物」である。ビッグマッチでは雪崩式でも繰り出す。名前の由来は「ネジって、ブリッジ(橋)をきかせて投げる」から。
- アイコノクラズム
- コーナーに座らせた相手の両脇を抱え上げて、シットダウンパワーボムのような体勢で相手を前方に放り投げる技。技名の由来はCIMAの好きなバンドBUCK-TICKの曲名から。相手の両腕を交差して投げるとゴリコノクラズムになる(ビデオ撮影時にゴリラを投げたことから発明)。
- また、これらの技はヴィーナスから連続して出すことが多い。
- サルモネラ
- ジャンピング・パイルドライバーと同形の技。名前の由来は、彼が実際にサルモネラに感染した時あまりに辛かったことから。
- ナカユビ
- 相手にフロントネックロックを仕掛けるように手をまわして飛びつき、そのまま相手の胴体を両足で締めるようにしてのDDT。開発当時、C-MAXと抗争を繰り広げていたYASSHIに対抗してこの技を開発した。これもBUCK-TICKの曲名から。
- ドラッグボム
- パワーボムの要領で相手を担ぎ上げ、前方に相手を後ろ向きに一回転させながらマットに叩きつけるフェイスクラッシャーに近い技。日本逆上陸初期の頃に時折使用していた。
- スーパードロル
- 変形バックブリーカー。相手の背後から両膝を揃えてジャンプして飛びつき、膝を背中に当てたまま後ろに倒れ込む。たまに相手の正面から飛びついて、胸にダメージを与える(ツープラトンで繰り出される場合が多い)。もともとはBlood Generation当時のツープラトン技。名前の由来は愛用するプロテインサプリメントから。
- コバクニ
- コーナーで両サイドのロープを掴んで体を水平に持ち上げ相手の頭を両足でキャッチし、ヘッドシザースホイップの要領で前方に回転しながら相手の頭をコーナーポストに打ち付ける技。小林邦昭との関係は不明。
[編集] 飛び技
- マッドスプラッシュ
- その昔いたラブマシーンというレスラーが使っていた飛び技。開脚式のフロッグスプラッシュもしくはスーパーフライと言える。スキーのモーグルでいう「コザック」のような形。ヴィーナス→アイコノクラズム→マッドスプラッシュの一連の流れがCIMAの初期フィニッシュパターン。しかし、最近は膝を悪くしており、年に数回、大一番のときにしか見せないほどになっている。
- トカレフ
- NOAHの丸藤正道が使う「From コーナー to コーナー」と同形だが、スワンダイブ式ではなく、まずセカンドロープに片足、トップロープに片足を乗せた状態から、トップロープに両足を揃えて踏み切り、その反動で飛ぶ。コーナーポストに逆さ吊りにした相手の顔面に向かって、隣のコーナーポスト最上段からミサイルキックを放つ。丸藤に技をパクられた事を根に持っており、その後From コーナー to セイム・コーナー(コピー禁止)というバリエーション技を開発した。しかしこれも丸藤にパクられてしまった。B×Bハルクと同時に行うトカレフ2丁拳銃という技もある。
- モナリザ・オーバードライブ
- トカレフの前方回転ミサイルキック。ミサイルキックというよりも前転踵落としのような形になる。トカレフ同様スワンダイブでなくロープに昇るようにして飛ぶのがコダワリ。名前の由来はやはりBUCK-TICKのアルバム名。大一番で出す技。
- トルニージョ
- リング上で加速をつけてトップロープを越え場外の相手に体を預けていく飛び技。飛び越える際に両手でトップロープを掴み、それを利用して体を回転させながら相手にぶつかっていく。
- ダイビングフットスタンプ
- 仰向けに倒れた相手の腹部めがけてジャンプし、両足で踏みつける技。単純に倒れた相手にしかける他、スワンダイブ式、リング内からロープを利用して、リング内の相手に、またツープラトンではロープに相手の腕をからませ、パートナーが足を抱えた状態で行ったり、カナディアンバックブリーカーで抱え上げた相手めがけて行ったり(with 横須賀享)と、かなりバリエーションは豊富。
[編集] 丸め込み技
- ドスカラス・クラッチ
- ソラリーナと同型の技。
- ホルヘ・クラッチ
- 横十字固めのような形で、さらに足首も取って固めるため、脱出が非常に困難な丸め込み技。相手の状態が仰向けから、うつぶせ→仰向け→十字固めのように移行するので、見た目も非常に華麗。
[編集] タイトル
- DRAGON GATE
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- オープン・ザ・ドリームゲート王座
- オープン・ザ・トライアングル・ゲート王座
- オープン・ザ・お笑いゲート王座
- 闘龍門
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- UDG王座
- エル ヌメロ ウノ 優勝
- その他
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- インターナショナルライトヘビー級王座
- UWA世界6人タッグ王座
- 2006年プロレス大賞技能賞
- 2007年PWGバトル・オブ・ロサンゼルス(BOLA)優勝
[編集] その他
- みちのくマットにおいてTAKAみちのくとの抗争時には、TAKAのパスポートを焼くという暴挙に出る。TAKAがドラゴンゲートに乗り込んできた時に行われた貴重品コントラ貴重品マッチでは、逆にパスポートを奪われている。
- 新日本プロレスの邪道、外道なども通うジム、ミッドブレスにおいてトレーニングをしている。2005年頃からあきらかに体つきが変化している。
- 左膝が極端に悪い。また、首の骨もまっすぐになってないほど痛めている。
- クレイジーの初期、前髪をゼブラ模様にし、左目に大槻ケンヂのようなペイント、さらには黒のマニキュアをほどこしていた。いまは素顔に角刈り。
- 最近、何故かハングルの書かれたリングシューズを履いている。
- ウルティモ・ドラゴンのインタビューによると「顔で言ったら間違いなく善玉(ベビーフェイス)なのだが、それだと当たり前でインパクトも無くなってしまう。だから、ヒールにした」との事。しかし、現在はほぼベビーフェイスである。
- 趣味は洗車。
- 2002年に愛車でうどん屋に突っ込んでしまう。車は大破するが店員や客にケガはなく本人も軽傷で済んだ。その後、「うどん屋にトペ・スイシーダ」としてネタにされている。
- メキシコ時代、練習後にシャワーを浴びていたら、着ていた服や靴を盗まれ、スパッツとサンダル一丁で合宿所代わりのアパートに帰る羽目になった。
- 阪神タイガースのファンとしても知られ、新井健一郎とともにテレビの阪神戦中継にゲスト出演したこともある。
- 第4回スーパーJカップに参戦した際は、現在はスペル・デルフィンの妻である早坂好恵のファンである事を公言し、その遺恨(?)からデルフィンと6人タッグで対決した。
- 非常に涙脆い。
- 山咲トオルの家に泊まりにいったことがあるらしい。(マイクパフォーマンスでそのような発言をしたことがある。)
- 対戦相手を罵倒する際に、TAKAみちのくを吉田、Gammaを菅本と本名を呼んでおちょくる。
- 週刊プロレスの中でコラムをやっている。タイトルは『オレ、CIMAやぞっ。』
- 決め台詞は、『俺を誰やと思てんねん・・・オレ、CIMAやぞっ!!』『糞して寝たまえ』。
- 犬を飼っている。名前はロック。
[編集] 入場曲
- 『Me GUSTA COLA』(FIRST BLOOD)
(Blood Generationから使用)
[編集] 関連書籍
- 『OH! CIMA』 CIMA著、新紀元社、2002年。ISBN 4775300997 - ターザン山本監修、ドキュメントフォトブック。