BT-5
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指揮官タイプのBT-5TU |
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BT-5(前期型) | |
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性能諸元 | |
全長 | 5.50 m |
車体長 | 5.50 m |
全幅 | 2.23 m |
全高 | 2.20 m |
重量 | 11.5 t |
懸架方式 | クリスティー方式 |
速度 | 装軌52 km/h 装輪72 km/h |
行動距離 | 装軌120~150 km 装輪200~250 km |
主砲 | 45 mm 20K (砲弾115発) |
副武装 | 7.62 mm DT (銃弾2709発) |
装甲 | 主砲防盾20 mm 砲塔全周13 mm 砲塔上面10 mm 車体前面13 mm 車体前端40 mm 車体側面 13+4 mm 車体後面10~13 mm 車体上面10~13 mm 車体底面6 mm |
エンジン | M-5 4ストロークV型12気筒 水冷ディーゼル 400 HP |
乗員 | 3 名 |
BT-5(ロシア語:БТ-5ベテー・ピャーチ)はソ連で開発された快速戦車(Быстроходный танк)である。これは騎兵部隊の支援や、長距離侵攻を目的に開発された、BT-2の火力増強を狙った改良型であった。1932年秋、労農赤軍機械化自動車化局(UMM)によりBT-5の名称が与えられ、10月21日に試作車が完成した。1933年後半から生産開始され、翌年と合わせて1183輌が作られた。
目次 |
[編集] 概要
本車はBT-2を各方面から強化・改良したものである。溶接した部分の強度が落ち、振動や衝撃でクラックの発生する問題のあった表面硬化装甲板は、イジョルスキー鉄鋼製作所によって材質が改善された。
主武装である45mm砲は、M1930(1K)対戦車砲を戦車砲向けに改修したB-3(5K)の口径拡大型であり、M1932(20K)と命名された。これは単純にスケールアップされたものであるが、肩付けによる人力旋回だったものが、砲塔が大型化したこともあり旋回ハンドルを使うように変更されている。この砲は装甲貫徹力が向上しただけでなく、榴弾の装薬が37mm砲の22gに対し118gと増大し、支援砲撃に用いる場合にも格段に威力を増していた。
BT-2に比べ砲塔内部の容積を大きくするため全体に大型化されただけでなく、後方に向かってバスル(張り出し)部が追加された。これは初期の型では工具箱のような小さなものであったが、後に砲塔側面装甲に沿って一体化した大型のものとなり、砲塔上のハッチも二枚となった。このバスル内部には即応弾薬が搭載できるが、指揮官用のBT-5TU(БТ-5ТУベテー・ピャーチ・テウー)では71TK-1無線器が収納され、ハチマキ状のアンテナが付けられている。これは263輌が生産されたが、一見して指揮官用と識別できるので、ノモンハン事件では真っ先に攻撃され撃破されてしまったという。またこの無線器は戦闘中には扱いづらく、使用されることは少なかったという。なおこの砲塔はT-26など、他のソ連軍戦車と共通のデザインであった。主砲の外防盾はプレス加工による一体型もあったが、曲げ加工した装甲を溶接組み立てした型の方が写真では多く見られる。
BT-2では鋳鋼製のスポーク型転綸で、後にスチール製でプレス加工のディスク型転綸装備になったが、BT-5では最初からディスク型が使われている。これは鋳造型より軽量であった。
BT-5では試作車の段階から、車体後部に大型の円筒形マフラーと機関室グリル上に異物混入防止用の金網製カバーが装着されている。しかしスペイン内戦やノモンハン事件などで火炎瓶による被害が発生し、高熱を発するマフラーが撤去され、後のBT-7同様に金網製カバーの後部から突き出す形の延長型排気管に変更された。
[編集] 実戦投入
BT-5は1937年のスペイン内戦で、初めて実戦に参加した。義勇特別戦車連隊として57輌が投入され、最終的には100輌近くが送り込まれたといわれている。本車は同時に派遣されたT-26同様に、45 mm砲の威力でフランコ軍やコンドル軍団のドイツやイタリアの軽戦車を圧倒したが、対戦車砲からの砲撃には弱かった。
続いて1938年7 - 8月の張鼓峰事件ではT-26等と共に81輌が投入され、1939年5 - 9月にはノモンハン事件でBT-7やT-26等と共に主力として投入された。平原ではその機動力を存分に発揮でき、火力でも日本陸軍戦車を圧倒できたはずであるが、乗員の熟練度において日本側に劣っており、意外に苦戦している。やはり装甲防御力は不足しており、九四式37mm速射砲や75 mm野砲によって容易に撃破されてしまった。なお、旧来の日本側の戦記で描かれたように多くが火炎瓶攻撃で撃破されたというのは誤りで、ほとんどは砲撃により損傷し行動不能となったところで、再使用できないように止めとして放火されたケースであった。また火炎瓶除けとして金網カバーが増設されたと、日本語の資料にはよく書かれていたが、前述のように試作時からの標準的な装備である。この戦闘におけるBT-5の損害は日本側をはるかに上回る甚大なもので、通常型127輌、指揮官型20輌が全損、または工場での修理が必要な損傷を受け後送され、これは失った装甲車輌全体の37%をも占める割合であった。これ以外に野戦修理が必要な程度の損傷車輌もあったが、正確な数字は不明である。
9月のポーランド侵攻には、BT-2やBT-7、T-26等と共に参加している。
続いて11月からのフィンランドに対する冬戦争にも投入されたが、滑り止めのパターンの無い履帯が雪中での行動に向かず、機動性が著しく低下し活躍できなかった。やはりボフォース 37mm対戦車砲などにより撃破され、一部はフィンランド軍に捕獲使用された。
1941年のドイツによる侵攻を迎え撃った時、既に旧式化していたBTシリーズは、装甲の弱さが改善されていないこともあり、容易に撃破され、急速に消耗した。BT-5を捕獲したドイツ軍は、後方警備用などニ線級任務に使用している。1942年になっても一部は使用が続けられていたが、多くの部隊ではT-34によって更新され、生き残りのBTシリーズは満州国境方面に回され、1945年の満州侵攻にはBT-5も一個大隊が参加している。
[編集] バリエーション
武装を76.2 mm連隊砲(榴弾砲)に換装した、近接支援型のBT-5Aが試作されたが、量産されていない。また化学戦車(火炎放射戦車)や水陸両用型も試作されたが、同様に採用されなかった。
[編集] 関連項目
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