黒木三次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
黒木 三次(くろき さんじ、明治17年(1884年)12月21日 - 昭和19年(1944年)9月30日)は、日本の華族。貴族院議員・帝都復興院参与・司法省委員を務める。位階勲等は正三位、勲三等、伯爵。
第1軍司令官を務めた黒木為楨陸軍大将伯爵と、妻ヒヤクの長男として東京に生まれる。一高で内村鑑三の元で学び、明治45年(1912年)東京帝国大学法科大学を卒業。大正7年(1918年)から欧米に留学し、帰国後は母校の東京帝国大学法科大学で副手を務める。大正12年(1923年)2月3日の父の薨去を受けて襲爵し、伯爵となる。三次は同年9月1日に発生した関東大震災の復興を目的とした帝都復興院参与に就任し、大正15年(1926年)5月には貴族院議員に就任する。貴族院議員は薨去するまで務めた他、司法省委員や中央水産会・中央農業会・全国農業経済会の設立委員等、数々の公職に就いた。
三次は内閣総理大臣松方正義公爵の嫡男、第十五銀行頭取松方巌公爵の娘竹子と結婚した。竹子の叔父幸次郎や松方三郎は三次と共に熱心な美術収集家だが、松方三郎が美術や音楽、登山に興味を持ったのは三次の影響だと言われる。
三次の没後は従達が跡を継いだ。従達は宮内庁に入り、皇太子明仁親王(今上天皇)に東宮侍従長として仕える。弟で為楨の三男清は内閣総理大臣黒田清隆伯爵の子、清仲に子が無かった為養子として入り、家督を継承する。