高岡城
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高岡城 (富山県) |
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高岡城跡(高岡古城公園)航空写真 |
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通称 | 高岡城 |
城郭構造 | 梯郭式平城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 前田利長 |
築城年 | 慶長14年(1609年) |
主な改修者 | 不明 |
主な城主 | 前田利長 |
廃城年 | 元和元年(1615年) |
遺構 | 堀、石垣 |
指定文化財 | 富山県史跡 |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯36度44分57秒 東経137度1分14秒 |
高岡城(たかおかじょう)は、富山県高岡市古城(旧・越中国射水郡関野)にある平城跡。現在は高岡古城公園(たかおかこじょうこうえん)として整備されている。
目次 |
[編集] 歴史・沿革
1609年(慶長14年)、前田利長の居城の富山城は焼失、利長は魚津城に待避した。利長は大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火災の報告と、関野に築城の許可を求めた。
許可された利長は、資材調達を小塚秀正ら、現地奉行を神尾之直らに命じ、魚津城から高岡の築城の指揮を取り、同時に城下町の造成も始めた。縄張(設計)は当時の前田家の客将だった高山右近とされている。
同年9月13日、利長は「関野」を「高岡」と改め、未完成の高岡城に入城した。しかし、1614年(慶長19年)5月20日、利長は死去(享年53)した。その翌年には一国一城令により高岡城は廃城する。その後、加賀藩の蔵などが置かれて、町人の立ち入りは禁止されたが、城址は「古御城」と呼ばれ親しまれたようである。
2006年(平成18年)4月6日、高岡城は日本城郭協会により「日本100名城」に唯一富山県内から選ばれ、2007年(平成19年)6月2日からは全国規模の「日本100名城スタンプラリー」(高岡城(高岡古城公園)は「33番」)が開始された。
[編集] 構造
郭は、本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の五つからなるが、現在では、「御城外」とされている、小竹藪や梅林(当時の郭名は不明)も、これに加えるものと考えられている。総面積の約21万m²(71,261坪)の内、約3割(24,400坪)が人工の堀である。
[編集] 高岡古城公園
高岡城跡は、第17大区長服部嘉十郎らの尽力により1875年(明治8年)に「高岡古城公園」として指定された。
現在、公園内には射水神社、高岡古城公園動物園、高岡市民会館、高岡市立博物館、高岡市民体育館などの施設がある。高岡市立中央図書館も二の丸跡にあったのだが、2004年(平成16年)にオープンした高岡駅前にあるウイング・ウイング高岡に移転した。
平日や休日を問わず、散歩などに訪れる人も多く、高岡市民の憩いの場にもなっている。春はソメイヨシノを中心に、コシノヒガンザクラ、エドヒガンザクラ、ヤマザクラなど23種約2700本の桜が咲き誇る。
[編集] 観光
[編集] アクセス
[編集] その他
- 日本100名城スタンプ設置場所
- 高岡市立博物館(鍛冶丸跡)