雨宮の渡し
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雨宮の渡し(あめみやのわたし)は長野県千曲市の雨宮にある史跡。第4次川中島の戦い(両将の一騎打ちがあったとされる戦い)の時、武田側の山本勘助らによる「啄木鳥の戦法」を察知した上杉謙信は、夜半に妻女山を下り、この渡し場を秘かに越えて武田信玄の本陣に突撃したとされている。
この逸話は後に幕末の儒学者、頼山陽の「川中島(題不識庵撃幾山図)」の漢詩によりいっそう有名となり、史跡の価値を高めている。漢詩は謙信贔屓の頼が両将一騎打ちの掛け軸の図柄を見ての感動を謳ったものとされている。
なお、現在の千曲川の流れは、約800メートル北方に移動している。
場所は長野電鉄雨宮駅の北、徒歩3分、現在は頼山陽の直筆になる漢詩の碑が建てられ、小さな史跡公園となっている。また3年に1度獅子頭を被った4人の踊り手を橋の欄干から逆さに吊るす奇祭で知られる雨宮坐神社や、幕末期の洋学者佐久間象山が自作の大砲を試射した地も近い。
[編集] 頼山陽「川中島(不識庵幾山を撃つの図に題す)」
- 鞭 聲 肅 肅 夜 過 河 (鞭聲肅肅夜河を過る)
- 曉 見 千 兵 擁 大 牙 (曉に見る千兵の大牙を擁するを)
- 遺 恨 十 年 磨 一 劍 (遺恨なり十年一劍を磨き)
- 流 星 光 底 逸 長 蛇 (流星光底に長蛇を逸す)