谷口正孝
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谷口 正孝(たにぐち まさたか、1917年1月28日 - 1993年)は、宮崎県出身の裁判官。九州帝国大学法学部卒業。法学博士。
[編集] 来歴・人物
1942年判事任官。刑事裁判官として名古屋・東京の各地方裁判所、高等裁判所判事などを経て東京地方裁判所所長から1980年最高裁判所判事となる。地方裁判所所長からの最高裁入りは現在まで、唯一のケースとなっている。最高裁では市民派・人権派として知られた。1987年1月退官。
退官後は、日本大学大学院法学研究科非常勤講師として勤務。講演原稿や最高裁裁判官時代の意見・補足意見・反対意見をまとめたものとして、『裁判について考える』(勁草書房、1989年)がある。
最高裁判所裁判官国民審査における不信任率14.84%は歴代第二位(2007年現在)である。
[編集] 下級審時代の担当訴訟
血のメーデー事件〔皇居前広場メーデー事件〕(1972年 二審東京高裁裁判長 騒乱罪被告全員に無罪判決)
[編集] 最高裁時代の担当訴訟
・長沼ナイキ事件 ・大阪空港訴訟 ・サラリーマン税金訴訟 ・福岡県青少年保護育成条例事件 ・衆議院議員定数不均衡訴訟