角盈男
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角 盈男 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鳥取県米子市 |
生年月日 | 1956年6月25日(51歳) |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1976年 3位 |
初出場 | 1978年 |
最終出場 | 1992年 |
経歴 | |
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角 盈男(すみ みつお[本名:角 三男]、1956年6月26日 - )は、プロ野球選手、野球解説者、タレント(太田プロダクション所属)。左投げ左打ち。巨人時代の登録名は角 三男、角 光雄(一時期)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
鳥取県米子市出身。米子市立美保中学校、米子工業高校から三菱重工三原を経て、1976年のドラフト3位で読売ジャイアンツから指名を受け、翌年に入団。鼻の中腹部側面にある大きな黒子が特徴。
1年目の1978年に5勝7セーブで新人王を獲得。翌年は制球の悪さが顕在化し不調に陥ったが、1980年にオーバースローをサイドスローに改造して才能が開花した。球速こそ落ちたものの、課題だったコントロールが向上したことから頭角を現す。一方で、札幌円山球場の試合で連続与四球の不名誉な日本記録も作った。
先発投手としては無駄球が多く完投能力が低かったものの、変則的なフォームでタイミングが取りづらく、地肩が強く連投が利くことから抑えのエースとして活躍し、1981年に8勝20セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得。ファンからも絶大な信頼を得ており、場内アナウンスと同時に、巨人ファンの歓声と負けを覚悟する相手チームファンのため息が流れた。
その後、独特のフォームを他球団に研究されたことや、制球を乱しての救援失敗などもあり、リリーフエースの座を鹿取義隆に譲る(その頃から一部の野球ファンには「ノーコンピッチャー」という印象が付き始めた)。右サイドハンドの鹿取に対し、左サイドハンドの角はセットアッパーやワンポイントリリーフとして重用され、長く巨人のリリーフ陣の核として活躍した。
巨人時代初期の背番号変遷は目まぐるしく、また珍しい物がある。入団当初は「11」を与えられ、1978年のキャンプ時は同番号で参加していたものの、大洋ホエールズからジョン・シピンが移籍してくるのに伴い、公式戦前に同選手に番号を譲る形で「45」に変更。翌1979年から2年間は当初の番号と1番違いの「12」を背負った後、シピン退団翌年の1981年に当初の「11」に戻ったもので、元の番号に戻ると共に、ストッパーとしても開眼する形となった。
1989年のシーズン途中に日本ハムファイターズに無償トレード移籍。先発を務めたため423試合連続リリーフ登板の日本記録(当時)が途絶えた。通算では40試合に先発、3完投の成績を残した。1990年6月6日の近鉄バファローズ戦ではラルフ・ブライアントに東京ドームの天井スピーカーを直撃する本塁打(推定飛距離170m)を放たれた。
1992年にヤクルトスワローズに移籍、同年引退。引退後は1995年にヤクルト、1997年は古巣の巨人で投手コーチを務め、退団後はニッポン放送の野球解説者を務めた。現在は野球評論家活動のかたわら、タレントとしても活動している。上記のとおりかつての戸籍上の名前は三男であったが本人いわく「三男(さんなん)だから三男(みつお)とつけられたのが嫌」で度々登録名を変更したという。
二人の息子の内、長男は東海大学附属相模高等学校の野球部出身で(角曰く、ドラフトの指名候補選手だったとの事)現在は、大リーグ ロサンゼルス・エンゼルスにスカウトされ入団。ドミニカのルーキーリーグで活躍中。また次男も東海大相模の野球部で活躍中。2007年、夏の神奈川大会決勝まで進むも、惜しくも桐光学園に破れ、30年ぶりの夏の甲子園出場はならなかった。なお、この時の同高校野球部には原辰徳の甥も所属していた。
現在は、「おもいっきりテレビ」(日本テレビ)や仲の良い妻との「土曜スペシャル」(テレビ東京)の出演などで活躍中。以前は「ラーメンスタジアム」(テレ玉)という全国のラーメン店を巡るグルメ番組のレギュラーであった)また東京MXテレビのヤクルト戦中継の解説者でもある。岐阜放送ラジオのスポーツ番組のキャスターだったこともある。
[編集] エピソード
- 美保中学の先輩に米田哲也がいる。
- 左サイドスロー投手と言うのは珍しく、ファミコンの人気ゲームソフトファミスタのナムコスターズで登場する左サイドスロー投手のきゃらはちは角投手を真似てつくったとされている。
- ヤクルトの投手コーチ時代、登板前日にも関わらずタレントの神田うのとの密会のために宿舎を無断で抜け出して行方不明になった石井一久を追跡し取り押さえた。この時石井の部屋に残されていたメモから現場を割り出すなど探偵顔負けの推理力を発揮した。この出来事は著書のほかTV番組でもしばしばネタにしている。
- 角が巨人の投手コーチ(ブルペン担当)の契約を終え、当時の長嶋茂雄監督のその当時の印象をテレビ番組で聞かれた時に、「何故かは知らないが、監督とは1シーズンで一度も会話をする事がなかった。(それも私生活はもちろん、投手コーチはもう一人いたこともあってか)自軍の投手状況等にまつわる会話すら会話をする事がなかった」と振り返っていた。
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 背番 号 |
登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投球 回 |
被安 打 |
被本 塁打 |
与四 球 |
与死 球 |
奪三 振 |
失点 | 自責 点 |
防御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1978年 | 巨人 | 45 | 60 | 0 | 0 | 5 | 7 | 7 | .417 | 112.2 | 76 | 6 | 77 | 6 | 89 | 38 | 36 | 2.87 |
1979年 | 12 | 45 | 0 | 0 | 2 | 5 | 6 | .286 | 65.1 | 52 | 3 | 39 | 2 | 61 | 39 | 29 | 4.02 | |
1980年 | 56 | 0 | 0 | 1 | 5 | 11 | .167 | 79.0 | 48 | 5 | 35 | 3 | 110 | 21 | 20 | 2.28 | ||
1981年 | 11 | 51 | 0 | 0 | 8 | 5 | 20 | .615 | 104.1 | 55 | 9 | 33 | 2 | 121 | 19 | 17 | 1.47 | |
1982年 | 40 | 0 | 0 | 2 | 3 | 9 | .400 | 63.0 | 36 | 4 | 24 | 5 | 71 | 14 | 14 | 2.00 | ||
1983年 | 37 | 0 | 0 | 3 | 5 | 18 | .375 | 56.0 | 53 | 4 | 32 | 3 | 55 | 23 | 21 | 3.38 | ||
1984年 | 49 | 0 | 0 | 3 | 4 | 14 | .429 | 58.2 | 44 | 7 | 31 | 4 | 51 | 22 | 21 | 3.22 | ||
1985年 | 42 | 0 | 0 | 1 | 2 | 5 | .333 | 42.1 | 37 | 6 | 24 | 2 | 40 | 22 | 22 | 4.68 | ||
1986年 | 54 | 0 | 0 | 2 | 3 | 2 | .400 | 58.2 | 40 | 6 | 19 | 1 | 70 | 20 | 18 | 2.78 | ||
1987年 | 57 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | .667 | 37.2 | 34 | 5 | 8 | 1 | 37 | 16 | 14 | 3.35 | ||
1988年 | 25 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 13.1 | 16 | 1 | 7 | 0 | 10 | 7 | 7 | 4.73 | ||
1989年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | ||
日本ハム | 23 | 15 | 2 | 0 | 3 | 4 | 0 | .429 | 66.1 | 63 | 6 | 40 | 2 | 35 | 28 | 25 | 3.39 | |
1990年 | 23 | 0 | 0 | 1 | 4 | 1 | .200 | 79.2 | 69 | 15 | 44 | 5 | 60 | 36 | 32 | 3.62 | ||
1991年 | 17 | 1 | 0 | 3 | 7 | 0 | .300 | 85.1 | 82 | 6 | 51 | 4 | 41 | 38 | 37 | 3.90 | ||
1992年 | ヤクルト | 45 | 46 | 0 | 0 | 2 | 4 | 5 | .333 | 39.1 | 29 | 4 | 24 | 2 | 37 | 15 | 14 | 3.20 |
通算成績 | 618 | 3 | 0 | 38 | 60 | 99 | .388 | 961.2 | 734 | 87 | 488 | 73 | 888 | 358 | 327 | 3.06 |
[編集] タイトル・表彰
- 新人王(1978年)
- 最優秀救援投手 1回(1981年)
[編集] 出演CM
- アクタス・スポーツドリンク(明治乳業、1983年頃)
[編集] 現在の出演番組
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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読売ジャイアンツ 1976年ドラフト指名選手 |
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1位:藤城和明 / 2位:赤嶺賢勇 / 3位:角三男 / 4位:吉沢克美 / 5位:松本匡史 / 6位:笠間雄二 |