観賢
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観賢(かんげん、斉衡元年(854年) - 延長3年(925年))は、平安時代中期の真言宗の僧。俗姓は秦氏とも伴氏ともされ出自については不詳である。讃岐国の出身。般若寺僧正とも称される。
真雅について出家・受戒して、聖宝に三論・真言密教の教学を学んで灌頂を受けた。900年(昌泰3年)仁和寺別当となり、その後権律師・東寺長者・醍醐寺座主・金剛峯寺検校を歴任し、923年(延長元年)には権僧正に任じられた。この間、般若寺を創建し、また奏請して空海に弘法大師の号を賜ったほか、空海が唐から請来した「三十帖冊子」を東寺の経蔵に納めて以後代々の真言宗長者の相承とするなど、東寺を中心として真言宗の再編を行った。