藤原斉敏
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藤原 斉敏(ふじわら の ただとし、延長6年(928年)-天禄4年2月14日(973年))は、平安時代中期の公卿。藤原北家小野宮流。摂政太政大臣藤原実頼の3男。母は藤原時平の娘。兄弟姉妹に藤原敦敏・藤原頼忠・藤原慶子(朱雀天皇女御)・藤原述子(村上天皇女御)・源高明室がいた。室は藤原尹文の娘。子に藤原高遠・藤原実資・藤原懐平らがいた。
天慶7年(944年)叙爵。蔵人、右近衛権中将、春宮(憲平親王、のちの冷泉天皇)権亮などを歴任する。康保4年(967年)参議となるが、天禄4年(973年)2月14日に薨去。享年46歳だった。最終官位は従三位参議兼右衛門督・検非違使別当・伊予守だった。
彼の4男実資(母は藤原尹文の娘)は、後に祖父実頼の養子となった。