第一航空艦隊
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第一航空艦隊(だいいちこうくうかんたい)とは、旧日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊のことである。この艦隊を中核に他の艦艇を合わせて世界初の空母機動部隊として運用された。
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[編集] 歴史
[編集] 機動部隊時代
1941年(昭和16年)4月10日、南雲忠一海軍中将を司令長官として編成(艦隊参謀長は草鹿龍之介)される。第一航空戦隊「赤城」「加賀」、第二航空戦隊「飛龍」「蒼龍」の航空母艦を基幹としており、太平洋戦争開戦直前に第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が編入された。なお、少数の旧式駆逐艦を除けば空母だけの編制であり完全な機動部隊ではないため、実戦時には、軍隊区分により第一艦隊や第二艦隊から臨時配属された護衛艦艇を伴って行動している。
太平洋戦争劈頭のハワイ真珠湾攻撃に主力として参加して戦果を挙げた。
1942年(昭和17年)4月の艦隊編制改訂で、隷下部隊として第十戦隊(軽巡洋艦「長良」と駆逐艦12隻)が新設され、直属の護衛艦艇を持つようになった。同月、座礁事故を起こした「加賀」を除いた5隻の空母を中心にインド洋に進出し、英空母「ハーミーズ」を撃沈、トリンコマリ港を爆撃した(詳細はセイロン沖海戦)。
同年6月5日のミッドウェー海戦での空母4隻を失うという大敗北により第一航空艦隊は解隊された。残存空母は、護衛の戦艦等を含んだ建制の空母機動部隊である第三艦隊として再編成された。
[編集] 歴代司令長官
[編集] 歴代参謀長
- 草鹿龍之介少将(昭和16年4月15日 - 昭和17年7月14日)
[編集] 基地航空隊時代
1943年(昭和18年)7月1日、基地航空部隊として大本営直轄で再編成される。ギルバート諸島・マーシャル諸島の陥落とトラック環礁への空襲開始に対応し、1944年(昭和19年)2月に連合艦隊へ委譲された。司令長官は角田覚治海軍中将が親補されたが、1944年(昭和19年)7月のテニアンの戦いにおいて角田司令長官は戦死。
その後、再編部隊はフィリピンに撤退した。司令長官には寺岡謹平中将を経て、10月20日に大西瀧治郎中将が就任する。この時に、大西長官は有名な特攻戦術を推進している。しかし実動機が払底したため、年末には台湾へ再度撤退し、フィリピン海峡越えの出撃を強いられた。
1945年(昭和20年)5月10日、最後の司令長官に志摩清英中将が就任。約1ヵ月後の6月15日、第一航空艦隊は解隊された。
[編集] 歴代司令長官
- 角田覚治中将(昭和18年7月1日 - 昭和19年8月2日)
- 寺岡謹平中将(昭和19年8月7日 - 昭和19年10月20日)
- 大西瀧治郎中将(昭和19年10月20日 - 昭和20年5月10日)
- 志摩清英中将(昭和20年5月10日 - 昭和20年6月15日)
[編集] 歴代参謀長
- 三和義勇大佐(昭和18年7月1日 - 昭和19年7月14日)
- 小田原俊彦大佐(昭和19年8月7日 - 昭和20年1月8日)
- 菊池朝三少将(昭和20年1月8日 - 昭和20年5月10日)
- 中沢佑少将(昭和20年5月10日 - 昭和20年6月15日)
[編集] 所属戦隊
(太平洋戦争開戦時)