相生橋
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相生橋(あいおいばし)は、広島市中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に掛かる橋である。
橋の形状は全国的にも珍しいT字型の橋であり、T字の足は広島平和記念公園(旧中島地区)につながっている。また、T字の水平部分は広島駅・八丁堀・紙屋町と続く路面電車(広島電鉄)も敷設している市内のメイン道路(相生通り・国道183号)である。(国道261号重複)
[編集] 歴史
1877年(明治10年)、中島地区の北端すなわち「慈仙寺鼻」から元安川および本川の両岸に向かって架橋され、この2つを合わせて相生橋(相合橋とも)と称したが、1912年の市電開通に伴いやや上流(これが現在の橋の位置である)に電車軌道専用橋が建設、さらにこれが32年に拡幅されて道路・軌道併用橋となり、こちらも相生橋と呼ばれた。2年後には新相生橋から慈仙寺鼻に向かって連絡橋が完成、従来の旧相生橋と合わせてH字形となった。38年になって旧相生橋は老朽化のため撤去され現在のT字形の相生橋となった。
橋の先の旧中島地区は、戦前は市内でも有数の繁華街であり、また木造平屋の民家が広がる庶民的な街であった(中島町界隈参照)。
1945年(昭和20年)8月6日、広島市に原子爆弾が投下された際には、T字が上空からも目立つこの橋が投下目標点とされた(実際の爆心地は300m離れた島病院上空とされている)。原爆の爆風は、爆心地のこの橋に7万Paもの圧力をかけ、手摺は落ち、爆風により捲れ上がったが、落橋は免れた。
橋は戦後修理されて使用され続けてきた。しかし老朽化のため、1983年(昭和58年)に第2代のT字橋に架け替えられた。2代目になり広島電鉄の架線柱がT字型になり、すっきりしたという感想も聞かれる。
2008年(平成20年)4月1日、道路管理者が国土交通省から広島市に移管され、国道54号から国道183号に変更された。
8月6日の夜には、相生橋の下流に灯篭流しの無数の灯りが流れていく。