白川義員
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白川義員(しらかわ よしかず、1935年 - )は、日本の写真家。「地球再発見による人間性回復へ」をテーマに、原始の風景と聖地を撮り続ける。
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[編集] 略年譜
- 1935年(昭和10年) - 愛媛県川之江市(現四国中央市)に生まれる。
- 1957年(昭和32年) - 日本大学藝術学部写真学科卒業
- 1972年(昭和47年) - 第13回毎日芸術賞受賞、第22回芸術選奨文部大臣賞受賞
- 1981年(昭和56年) - 全米写真家協会より最高写真家賞受賞
- 1995年(平成7年) - 第27回日本芸術大賞受賞
- 1999年(平成11年) - 紫綬褒章受章
[編集] 作品集
- 白い山(朋文堂 1960年)
- アルプス(講談社 1969年)
- ヒマラヤ(小学館 1971年)
- アメリカ大陸(講談社 1975年)
- 新約聖書の世界(小学館 1979年)
- 旧約聖書の世界(小学館 1980年)
- キリストの生涯(キリストの生涯刊行会 1980年)
- 白川義員山岳写真全集(小学館 1982年)
- 中国大陸(小学館 1984年)
- 神々の原風景(学習研究社 1985年)
- 仏教伝来(学習研究社 1986年)
- 南極大陸(小学館 1994年)
- 世界百名山(小学館 2001年)
[編集] パロディ事件
1970年1月、パロディ作家であるマッド・アマノが、白川義員のアルプスで滑降するスキーヤーと山を撮った写真作品にタイヤの跡を付けたパロディ作品を作品集『SOS』として発表。1971年9月、白川が東京地裁に著作権侵害で訴えた事件。「パロディは見る側の自由な批評の一つであり著作権として認めるべきで、もっと発展させていかなければいけない」という美術評論家、針生一郎の意見などもあったが、東京地裁は白川勝訴の判断を下した。