源高房
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源高房(みなもとのたかふさ、生年不詳-承暦元年9月(1077年))は、平安時代後期の官人。醍醐源氏有明親王流で、但馬守源行任の子。母は中納言藤原懐平女。室に大江定経女がおり、子に源高実・源清実・源家実がいた。藤原彰子(上東門院)の乳母子だったという(『栄花物語』三六)。
宮内卿・内蔵頭・丹波守などを歴任し、治暦2年(1066年)には彰子の御給により正四位下に叙せられた。承暦元年9月に疱瘡・痢病のため卒去した。最終官位は正四位上但馬守だった。彼の邸宅は大炊御門殿(大炊御門大路南・万里小路東にあった)と呼ばれ、源麗子(藤原師実室)がこの大炊御門殿で藤原師通を出産しており、また延久5年(1073年)に後三条天皇が崩御したのもこの邸宅だった。