永井貞録
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永井 貞録(明治20年(1887年) - 昭和17年(1942年))は日本の政治家、実業家。
境港市長(第3代)安田貞栄は4男、鳥取県会議員の安田優子は孫。
[編集] 経歴
現在の鳥取県境港市に生まれる。生家は大農家。1927年鳥取県会議員となり4期連続当選、1934年副議長となる。又、弓浜組合製糸組合長、鳥取県養蚕組合長、大日本蚕糸会副総裁等を歴任。現在の東亜青果を設立し満鮮貿易に乗り出すなど地域の産業振興に貢献した。
[編集] 人物像
以下は『ひとすじに』より抜粋
- 7町あった田畑をすべて売ってしまった。世にいう井戸と塀だけが残る“井戸塀議員”になってしまい親戚から説教されたが、「7町歩をなくしたが9長を得たよ」と得意になって肩書きを9つ並べてみせて煙にまいたという。
- 当時県下に余り例のない外車を4000円で買って乗り回し豪勢な暮らしをしてみせたが、内実は火の車で貞録の死後残っていたものは当時の金で2万円の借金だった。
- 山陰放送会長を務めた織田収は「永井氏は政治家的というより経済人、実業家的な物の見方をする人であった。地方の産業経済の振興に熱心で県西部の発展の基盤作りをした人だと思う。…永井氏は人あたりがよく穏やかで怒ったことをみせたことがなかった。」と述べている。
[編集] 参考文献
- 安田貞栄 『ひとすじに』 1984年 10頁