水間鉄道水間線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水間鉄道水間線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
水間線内を走る1000系電車
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 5.5 km | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電圧 | 1500 V 架空電車線方式 (直流) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
水間線(みずません)は、大阪府貝塚市の貝塚駅から水間駅までを結ぶ水間鉄道の唯一の鉄道路線。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 概要
水間観音のある水間寺への参詣鉄道として建設された。沿線開発も進み通勤・通学路線となっている。 終点の水間駅の駅舎は、1926年の全通以来のもので、1998年に国の登録有形文化財に登録されている。
中間駅が全て無人駅であるため、車内で車掌による乗車券販売と車内検札がほぼ全区間にわたって行われており、検札鋏(けんさつきょう・検札に使うハサミ)を持った車掌が、鋏を鳴らしながら常に車内を行き来している。昨今の都会の路線においては、自動券売機と自動改札機を設置している駅が多いため、乗車券のみで乗車できる列車では、車内発券や車内検札自体がまれになっており、地方路線においても、バスのように整理券と運賃箱を用いたワンマン列車が多くなっているなか、風情を感じさせる貴重な存在である。
水間鉄道も早朝深夜に限ってはワンマン運転を行っている。そのため、車両は車内に運賃箱も運賃表もあるワンマン仕様である。かつて終日ワンマン化したこともあったのだが、その際、主な利用客である高齢者層が新システムになじめなかったため、早朝深夜以外の時間帯は再び車掌を乗務させることにしたのである。
2007年にはPiTaPa導入を視野にスルッとKANSAI協議会に加盟した。
[編集] 運行形態
線内折り返しの列車が毎時3本運転されている。
[編集] 車両
車両は南海電気鉄道の中古車両を使用していたが、1990年に架線電圧を600Vから1500Vに昇圧し、全車両を元東急7000系電車の7000系に置き換えた。2004年現在、2両編成5本の計10両を所有している。2006年から7000系の一部が更新改造され1000形に改番されている。
[編集] 利用状況
地域のお年寄りや学生の足であるだけでなく、途中の石才駅近辺には自動車教習所があり、そこに通う人々が多く利用する。さらに正月には水間観音への参拝客でにぎわう。
[編集] 輸送実績
水間線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/km・1日 |
特 記 事 項 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
通 勤 定 期 |
通 学 定 期 |
定期外 | 合 計 | |||
1970年(昭和45年) | 144.8 | 385.9 | ||||
1975年(昭和50年) | 158.5 | 106.0 | 151.5 | 416.0 | 8,410 | |
1976年(昭和51年) | 156.8 | 107.6 | 153.1 | 417.5 | 8,164 | |
1977年(昭和52年) | 158.0 | 105.2 | 152.2 | 415.6 | 8,150 | |
1978年(昭和53年) | 153.7 | 111.6 | 151.8 | 417.2 | 8,050 | |
1979年(昭和54年) | 151.8 | 113.4 | 151.2 | 416.5 | 8,016 | |
1980年(昭和55年) | 151.6 | 110.4 | 154.4 | 416.5 | 8,010 | |
1981年(昭和56年) | 154.7 | 105.5 | 153.5 | 413.8 | 7,961 | |
1982年(昭和57年) | 151.2 | 100.6 | 149.8 | 401.7 | 7,749 | |
1983年(昭和58年) | 145.8 | 92.2 | 142.5 | 380.5 | 7,407 | |
1984年(昭和59年) | 142.5 | 91.2 | 135.2 | 368.9 | 7,174 | |
1985年(昭和60年) | 139.6 | 92.4 | 133.7 | 365.7 | 7,076 | 自動閉塞化 |
1986年(昭和61年) | 135.4 | 85.3 | 127.7 | 348.4 | 6,777 | |
1987年(昭和62年) | 130.7 | 76.3 | 121.4 | 328.4 | 6,416 | |
1988年(昭和63年) | 123.4 | 68.3 | 112.7 | 304.4 | 5,997 | |
1989年(平成元年) | 120.2 | 60.4 | 110.7 | 291.3 | 5,775 | |
1990年(平成2年) | 121.4 | 63.4 | 110.8 | 295.6 | 5,748 | 架線電圧を1500Vに昇圧 冷房電車導入 |
1991年(平成3年) | 124.3 | 57.3 | 113.7 | 295.3 | 5,783 | |
1992年(平成4年) | 130.5 | 59.1 | 115.9 | 305.5 | 5,903 | |
1993年(平成5年) | 133.9 | 59.0 | 118.6 | 311.5 | 5,948 | |
1994年(平成6年) | 137.7 | 60.8 | 113.1 | 311.6 | 5,912 | |
1995年(平成7年) | 137.5 | 60.3 | 110.2 | 308.0 | 5,798 | |
1996年(平成8年) | 129.9 | 53.1 | 102.7 | 285.7 | 5,385 | |
1997年(平成9年) | 124.6 | 54.9 | 97.0 | 276.5 | 5,187 | |
1998年(平成10年) | 116.6 | 57.7 | 92.7 | 267.0 | 5,026 | |
1999年(平成11年) | 109.0 | 60.0 | 92.4 | 261.4 | 4,941 | |
2000年(平成12年) | 106.7 | 55.4 | 88.6 | 250.7 | 4,748 | |
2001年(平成13年) | 102.9 | 56.3 | 83.1 | 242.3 | 4,570 | |
2002年(平成14年) | 94.1 | 55.0 | 78.5 | 227.6 | 4,275 | |
2003年(平成15年) | 88.5 | 55.0 | 76.8 | 220.3 | 4,079 | |
2004年(平成16年) | 87.3 | 54.8 | 73.0 | 215.1 | 3,964 | |
2005年(平成17年) | 72.9 | 214.2 | 3,947 | |||
2006年(平成18年) | ||||||
2007年(平成19年) |
[編集] 収入実績
水間線の近年の収入実績を下表に記す。旅客運賃収入が増加した時期もあったが最近では減少している。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 |
||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1975年(昭和50年) | 137,651 | ←←←← | 159,117 | 883 | 299,303 | ||
1976年(昭和51年) | ←←←← | ||||||
1977年(昭和52年) | ←←←← | ||||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | ||||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | ||||||
1980年(昭和55年) | ←←←← | ||||||
1981年(昭和56年) | ←←←← | ||||||
1982年(昭和57年) | ←←←← | ||||||
1983年(昭和58年) | ←←←← | ||||||
1984年(昭和59年) | ←←←← | ||||||
1985年(昭和60年) | ←←←← | ||||||
1986年(昭和61年) | 207,220 | ←←←← | 225,247 | 0 | 432,467 | 4,093 | 436,560 |
1987年(昭和62年) | 146,087 | 49,690 | 215,436 | 0 | 411,213 | 6,856 | 418,069 |
1988年(昭和63年) | 141,144 | 45,509 | 204,976 | 0 | 391,629 | 6,652 | 398,271 |
1989年(平成元年) | 156,394 | 46,714 | 222,252 | 0 | 425,360 | 3,140 | 428,500 |
1990年(平成2年) | 153,560 | 47,527 | 213,988 | 0 | 415,075 | 5,563 | 420,638 |
1991年(平成3年) | 157,515 | 42,929 | 219,179 | 0 | 419,623 | 9,663 | 429,286 |
1992年(平成4年) | 164,215 | 44,287 | 220,637 | 0 | 429,139 | 10,686 | 439,825 |
1993年(平成5年) | 168,028 | 44,374 | 224,334 | 0 | 436,736 | 11,348 | 448,084 |
1994年(平成6年) | 171,546 | 45,591 | 214,896 | 0 | 432,033 | 11,071 | 443,104 |
1995年(平成7年) | 170,604 | 44,879 | 212,139 | 0 | 427,622 | 11,945 | 439,567 |
1996年(平成8年) | 173,655 | 42,796 | 214,570 | 0 | 431,021 | 10,665 | 441,686 |
1997年(平成9年) | 166,658 | 43,769 | 203,001 | 0 | 413,428 | 10,051 | 423,479 |
1998年(平成10年) | 156,962 | 45,964 | 194,225 | 0 | 397,151 | 8,864 | 406,015 |
1999年(平成11年) | 147,755 | 48,034 | 193,915 | 0 | 389,704 | 9,052 | 398,756 |
2000年(平成12年) | 144,493 | 44,179 | 186,028 | 0 | 374,700 | 8,491 | 383,191 |
2001年(平成13年) | 138,936 | 44,128 | 174,374 | 0 | 357,438 | 7,300 | 364,738 |
2002年(平成14年) | 126,910 | 42,657 | 163,972 | 0 | 333,539 | 10,813 | 344,352 |
2003年(平成15年) | 118,955 | 40,699 | 160,559 | 0 | 320,213 | 14,314 | 334,527 |
2004年(平成16年) | 116,884 | 38,984 | 152,589 | 0 | 308,457 | 14,712 | 323,169 |
2005年(平成17年) | |||||||
2006年(平成18年) | |||||||
2007年(平成19年) |
[編集] 歴史
- 1925年(大正14年)12月24日 貝塚南(のちの海塚)~名越間が開業
- 1925年(大正14年)12月28日 貝塚~貝塚南間に貨物線を開設。
- 1926年(大正15年)1月30日 名越~水間間が開業し全通。
- 1934年(昭和9年)1月20日 貝塚~貝塚南間旅客営業開始。
- 1952年(昭和27年)1月1日 貝塚南駅を海塚駅に改称。
- 1960年(昭和35年)11月23日 三ヶ山口駅開業。
- 1967年(昭和42年)7月10日 貝塚市役所前駅開業。
- 1969年(昭和44年)6月10日 近義の里駅開業。
- 1972年(昭和47年)5月1日 貨物営業廃止。
- 1972年(昭和47年)12月25日 海塚駅廃止。
- 1985年(昭和60年)12月18日 自動閉塞化。
- 1990年(平成2年)8月2日 架線電圧を1500Vに昇圧。
[編集] 幻の分岐延長計画
清児駅から分岐し泉佐野市南部の犬鳴を経て和歌山県の粉河(現紀の川市)まで延長する計画があった。1950年に清児~粉河間の鉄道敷設免許を取得し、資金調達のため1953年に紀泉鉄道という別会社を設立して着工したものの、資金不足で工事は中止された。1963年に水間鉄道は紀泉鉄道を吸収合併し、維持していた免許も1967年に山越えとなる犬鳴~粉河間が当面開通の見込みが無いとの理由で当時の運輸省より免許返納を勧められたため失効、残る清児~犬鳴間も何度か第三セクター方式で再起が試みられたが、資金調達の目処がつかず、1996年にこの区間の建設も断念し、免許も失効して計画は立ち消えとなった。
2006年現在、清児駅付近の住宅地内に残っていた用地は宅地化され、熊取町七山付近に痕跡が一部残るのみで、熊取ニュータウンの中央部に都市計画道路と一緒に確保されていた用地は殆ど宅地化された(熊取ニュータウン内には、敷地への立入りを禁ずる看板には水間鉄道のほかに道路管理者の名前も見える)。
[編集] 駅一覧
全列車が各駅に停車
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
貝塚駅 | - | 0.0 | 南海電気鉄道:南海本線 | 大阪府貝塚市 |
貝塚市役所前駅 | 0.8 | 0.8 | ||
近義の里駅 | 0.4 | 1.2 | ||
石才駅 | 0.8 | 2.0 | ||
清児駅 | 0.8 | 2.8 | ||
名越駅 | 0.4 | 3.2 | ||
森駅 | 1.1 | 4.3 | ||
三ツ松駅 | 0.4 | 4.7 | ||
三ヶ山口駅 | 0.4 | 5.1 | ||
水間駅 | 0.4 | 5.5 |
- 近義の里駅と石才駅の間で、JR西日本阪和線と立体交差しているが、交差地点の近辺には両路線ともに駅はなく、接続はしていない。
- 貝塚駅より0.2kmの地点には、かつて海塚駅があった(1925年~1972年)。開業当時はこの駅が起点駅であったためか、線内の距離標(キロポスト)は、現在でもこの地点を基準として設置されている。
[編集] 関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(1996年に公開された映画。カオルちゃんが水間鉄道を無理やり停車させる場面がある)
[編集] 外部リンク
- 週刊★ロマン鉄道(2004年7月24日放送分に、水間鉄道の映像や沿線の見どころなど)(注)このリンク内の内容には、貝塚駅と水間駅の位置を逆に紹介するなどの誤りがある。あくまで車両や沿線の雰囲気を実写映像で知ってもらうためのリンクである。