毒蝮三太夫のミュージックプレゼント
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毒蝮三太夫のミュージックプレゼント(どくまむしさんだゆうのミュージックプレゼント)はTBSラジオで1969年10月6日から放送されている公開生放送ラジオ番組である。2007年で38周年を迎える長寿番組で、司会は毒蝮三太夫。
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[編集] 概要・歴史
[編集] 放送時間
月曜日-金曜日 10:27~10:51頃 大沢悠里のゆうゆうワイド内
[編集] 番組名の変遷
[編集] 東食が筆頭スポンサーだった頃の協賛企業
- キーコーヒー
- キユーピー
- 日東紅茶
- 永谷園
- ダイショー
- かどや製油
- ソントン食品
- しんしん
- 太陽松本舗
- ケンミン食品
- 常陸屋本舗(江戸麦茶)
- 寿がきや食品
- 富士製粉
- 野田食菌工業
- はごろもフーズ
- 北陸銘水
[編集] 番組の沿革
- 1969年10月6日 『東食ミュージックプレゼント』として放送開始。当初は月曜日から土曜日の放送で、さらに独立番組だった。
- 1971年10月4日 この日放送を開始した『こんちワ近石真介です』に内包され、ワイド番組に内包される。土曜日は独立番組として継続。
- 1972年4月22日 『土曜ワイド』の午前の部がスタートし、土曜日もワイド番組に内包される。
- 1980年10月6日 この日放送を開始した『うきうきワイド こんにちワ神谷明です』に内包される。
- 1981年1月 土曜日の放送が終了。現在と同じ月曜日から金曜日の放送となる。
- 1981年10月5日 『お元気ですか土居まさるです』に内包される。
- 1983年10月3日 『こんちワ近石真介です』に再び内包される。
- 1985年4月8日 『スーパーワイドぴぃぷる』に内包される。(※ 1985年4月11日から10月3日までは木曜日のみ『村野武憲のいきなりラジオ』に内包されていた。)
- 1986年4月7日 『大沢悠里のゆうゆうワイド』に内包される。現在も同番組の1コーナーとして放送されている。
- 1998年9月 東食がスポンサーを降板し、同10月から『ヨークマートミュージックプレゼント』となる。
- 2006年1月9日 毒蝮が腸閉塞で入院したため、この日の放送から2006年2月20日に復帰するまで毒蝮による「ミュージックプレゼント」は休止。(詳細は後述)
- 2007年3月30日 ヨークマートがスポンサーを降板し、同年4月2日からはマルエツとエーザイがスポンサーとなる。(前述)
[編集] 中継
- 中継先
以前(2007年3月30日まで)
- ヨークマートがスポンサーになる前は他のチェーンストアからの中継もあったが、当然のことながらヨークマート以外のチェーンからは中継できなくなった(そのことは毒蝮もしばしば口にしていた)。
- 月曜日・火曜日・木曜日:一般公募の商店や工場、企業
- 水曜日・金曜日:ヨークマート店頭
現在(2007年4月2日-)
- 中継先のチェーンストアがマルエツになり、またエーザイがスポンサーになったことから、ドラッグストアからの中継も定期的に行われる。
- 月曜日・木曜日:一般公募の商店や工場、企業
- 中継先の個人商店や工場は東食提供時代から『ゆうゆうワイド』放送中に電話受付をしており、応募者側の費用負担がないため、店舗・企業の宣伝効果もある(時折、大沢悠里がコーナーの最後に応募の告知をしている)。
- 火曜日:マルエツ店頭
- 水曜日・金曜日:ドラッグストア店頭
- 月曜日・木曜日:一般公募の商店や工場、企業
- 段取りとしては、冒頭部分で『ゆうゆうワイド』のゲストとの会話(いわゆる前説)を数分程度したあと、中継先に入るパターンが定着している(ただし、当番組放送時間前でゆうゆうワイドのゲストが退場する場合もあるので、ゲストとの会話は必ず行っているわけではない)。現在のスポンサーであるマルエツや各ドラッグストアというレギュラースポンサーの店舗の場合は既に観衆の前に毒蝮は姿を表しているが、これら以外の一般の商店や工場の場合、前説終了後で観衆が集まっている所に入っていく。
- 毒蝮は、中継会場に集まった人達や年輩者を相手に毒舌を吐くが、毒舌で相手が不愉快にならぬように「いい話」を引き出して盛り上げるなど、毒蝮の温かい人柄と巧みな話術が人気となっている。
- 開始当初は番組名通りにリクエスト音楽番組であり、実際に番組の中盤でスタジオで冠番組のパーソナリティーがリスナーからのリクエストのハガキを読み一曲リクエストを流していた時期もあったが、最近は毒蝮と会場の客との話が中心となっており、毎回2曲のリクエスト曲は申し訳程度にしか流されず、BGM扱いになってしまうこともある。まれに全く曲がかからないこともあった。
- 番組最後に、ヨークマート(現在はマルエツ、ドラッグストア)からの時は店長からの挨拶で、一般商店からの場合は提供スポンサーの商品を(店長も商品も紹介担当は蝮と共に移動するTBS954キャスター)日替わりで1名(大抵は中継先で一番年寄りな人か一番目立った人)に進呈する。
- 中継が終わった後には、会場に残った人達を相手に話題は森羅万象のトークをし、これも人気を博している。
- なお、毒蝮のスケジュールの都合及び休暇時(主に夏休みと年末年始)は前もって収録を行ったものを放送している。この場合、大沢悠里が「録音生風」と称して、毒蝮との掛け合いをうまく入れている。
[編集] 番組にまつわるエピソード
- 過去には重大な事件が起きると放送自体が中止になる、もしくは番組自体が中止にならなかったものの楽曲リクエストを中止して毒蝮の中継レポートのみで終わらせたケースがあった。わかっているものとしては前者では浅間山荘事件・阪神淡路大震災・オウム真理教をめぐる事件・アメリカ同時多発テロ。後者では三島由紀夫率いる楯の会によるクーデター未遂事件・JR福知山線脱線事故・新潟県中越沖地震があげられる。
- 『こんちワ近石真介です』までは内包番組のMCが毒蝮に呼びかけて放送がスタートしていた。『大沢悠里のゆうゆうワイド』になって以降は曜日別の女性パートナー・トークゲストが毒蝮に呼びかけて放送がスタートするがトークゲストの中にはまれに毒蝮の本名である石井伊吉名義で呼びかけることもある。
- 東食→ヨークマート提供時代はその時期に限りスーパーマーケットからの放送を取りやめていたがマルエツ・エーザイ提供となった2007年4月2日以降は録音生風放送実施時期でもスーパーマーケットからの放送を実施することとしている。また、同日から開始のドラッグストアからの放送も実施することとしている。ただし、実施期間中は三遊亭小遊三・三笑亭夢之助が代理司会の生放送となる。
- 放送開始から現在に至るまでラジオ番組としては珍しい抗議の電話が殺到する番組として知られているがかつては毒蝮のババア発言に関するものがほとんどであった。しかし近年は幼児虐待が深刻化しているせいか抗議の電話は毒蝮の「うるせぇなこのガキャ」発言に関するものにシフトしている。毒蝮はこの発言をした場合必ずフォローするのだがそれでも抗議がくるそうで結果近年は回数が減ってきている。
- 2006年1月にパーソナリティの毒蝮が腸閉塞により入院した。対応として、1月9日から月曜は本人が病室より電話での出演、火・木曜は歌謡司会の玉置宏による“懐かしの昭和歌謡列伝”を放送した。また、同じく水・金曜日は毒蝮の出演時と同じ形態で、三遊亭小遊三がピンチヒッターとしてヨークマートから(ヨークマート以外の企業、商店からの中継は毒蝮の復帰までは中断)中継司会を務めていた(三遊亭小遊三の代わりに1月13日の中継は林家いっ平が、2月15日は三笑亭夢之助が司会を務めた)。2月20日、毒蝮が放送に復帰した。この日の中継では、「マムちゃんお帰り」の歌を中継先に来ていた人が歌うなど、お祝いムードに包まれた(この週は聴取率調査週間ということも重なって、ゆうゆうワイドの10時台の聴取率が従来より少し高かったようである)。
- 2006年3月15日の放送ではヨークマートの会場の客で幼女が来場しており、毒蝮が年齢を聞くと「2歳4ヶ月」と言った。翌月は「2歳5ヶ月」と必ず言うと毒蝮と約束をしており、毒蝮は幼くして自分の年が4ヶ月とまで言える彼女を褒め称えていたことにより、それ以来子供が居ると彼女とよく比較している。
- 毒蝮の発言の中にはテレビではタブーである犯罪啓蒙・肯定発言(報道におけるタブーも参照されたい)が飛び出すケースもある。警察から大目玉を食らうほどの問題発言となっていたこともあるとのちに毒蝮自身が生放送で明かしている。
- 放送開始からスーパーマーケットからの中継日(1998年~2006年まではヨークマート。2007年以降はマルエツ)がクリスマス・イブもしくは近い日になった場合毒蝮が童話「こなくてよかったサンタクロース」の一節を朗読するのが定番となっている。ただし、年によってはクリスマス当日になったり、スーパーマーケットからの中継日でない日に朗読するケースがある。
- 毒蝮自身が番組の中で「この番組が始まってすぐの頃、小田原のスーパーで中継していたら、そのスーパーに救急車が来た事があるんだよ。消防署に『あのスーパーにまむしが出た』と言ういたずら電話をかけた人がいたらしい」と語っていた事がある。
- 放送開始から38年になる長寿番組でありながら関東地方以外での放送は未だ実現していない。また、放送している局は(※ 番組にまつわるエピソードを参照)放送エリアと近接する地域での聴取が可能でありながらそこからの中継も未だに実現していない。その事について毒蝮は近接地域のラジオ局の生ワイド番組にゲスト出演した際にその事についての発言をする事がある。
- なお、毒蝮は番組開始当初から毎週の中継場所の地名と名称をほとんど全て几帳面に手帳につけており、その手帳を元にしたデータベースが「ラジオの鉄人 毒蝮三太夫」(山中伊知郎著 風塵社刊)に掲載されている。
[編集] ジングル
『ゆうゆうワイド』に内包されているので以下のようなジングルがかけられてスタートとなっている。
- 「おっ、おっ、さっ、わっ、ゆうりの~ゆうゆうわいど~っ。軽いねこりゃ、毒蝮だよ。」
- 「おおさわ~ゆうりの~ゆうゆうわいど~っ。さわやかだねぇ~。まむちゃんみたい。」
- 「おおさわゆうりの~ゆうゆうわいど~っ。うまいねぇ~まむちゃんよ。」
- 「おおさわゆうりの~ゆうゆうわ~い~ど~っ。カーネギーホールだな、こりゃ~」
- 以前ジングルの用意が間に合わなかった為なのか、中継先の毒蝮が即興でその節を歌った事があるが、その時は最後に「マムシだ~」と叫んだ。
- ジングルの後に以下のような音声が流されることがある。いずれも過去の放送でのものである。
- 「おたけさ~ん」
- 「ドクマ@#★%’?!$ €*P‘¥!&・・・・」
- 「毒蝮!!」と子供達が連呼する声
- 女子高生ソフトボール部の応援声出し風のジングル
- 「何歳なの?」「2歳4ヶ月!」(前述)(※その後再び彼女が番組に登場したときには「秘密!」と言っていた。)
- 「お主時間守れよ、ウヒヒヒヒ~」
- 「まむちゃん。今度一緒に寝よ」
- 他にも毒蝮による「腸閉塞の歌」の一部が流れることもある。
[編集] テーマ曲
- Edmundo Ros and His Orchestra "Whipped Cream"
- 現在音源としては国内盤ではCD化されておらず、輸入盤でこの曲が収録されているCDが存在する。
- また、Herb Alpert & The Tijuana Brass(ニッポン放送系の深夜番組『オールナイトニッポン』のテーマ曲 “BITTERSWEET SAMBA"を手掛けている楽団)も同曲を演奏しており、こちらの方は国内盤CDも存在するがアレンジが異なっている。
[編集] 毒蝮の発言
- 「汚ねえババア(ジジイ)だな」
- 「くたばり損ないのババア(ジジイ)」
- 「このウソツキジジイ(ババア)」
- 「○○みてえな顔しやがって」
- 「くたばる前に俺に逢いに来たのか?」
- 車椅子や杖をついた老人を連れてきた客に対して「こんなくたばり損ないなんか連れて来るんじゃねえよ」
- 「○○愛しているよって言ってやれ」
- 「うるせえなこのガキァ」子供が近くで喋って(泣いて)毒蝮の喋りの妨げになった時。しかし「まぁ、しょうがないな。子供は泣くのが仕事ってんだから…。」と必ずフォローするので母親から噛み付かれることはない。
- 「きったねえ店だね。ちゃんと客くんのか?」
- 「○○ちゃんと言ったらマムちゃんって言うんだよ」「ハイ」と返答されると「ハイじゃねえだろ」と言い返す。
- 「○○駅から歩いて3日」
- 「悠里ちゃんが行けって言うからこんな遠くまで来てやったんだ」中継先が赤坂から遠い場所のときに言っている。
- (健在の人を指して)「亡くなった○○さんが・・・」たまに大沢が「よしなさい」と言う場合がある。
- 「○○ってのはろくな奴しかいねえな」と言うが、石井姓に対しては「石井、俺と同じ名前だな、いい事があるぞ」
- 「おい、迎えに来たぞ。」救急車のサイレン音が聴こえると言う。
- 「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」・「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」・・・2つ共老人に向かって言うケースが多い。
- 「ワハハハ……、ばかっ!!!!」・「よせよ!!」くだらない駄洒落をかまされた後決まって使用する。
- 「文化放送かニッポン放送にダイヤル合わせろよ」わざわざ遠方からきた人、「ゆうゆうワイド」のテレホンカード目当てで来た人に対しての発言。
- 「一度に2曲かけちゃえ」時間が足りなくなり本来2曲かけるところ1曲しかかけられないことをスタジオから指摘されて。
- 「俺がくると必ず倒産してしまうんだよ…」数少ない自虐ネタのひとつ。当番組は個人商店・町工場からの中継であるため放送後にそれらが廃業・倒産となっているケースがある。また、当番組は最初のスポンサー(東食)まで倒産している。ヨークマート時代には「ヨークマートは倒産しないから大丈夫だよ…」と発言したこともあった(セブン・アンド・アイ・ホールディングスの傘下企業であるため倒産とは無縁であることをネタにした発言)
- 「この店で買ったものを食べたら、保健所が大騒ぎになっちゃうからな。気を付けるんだよ」
- 「今日もたくさんの人が集まってくれてさ。…5万人くらい来てくれてるんだよ」場所柄や天候等により、集まるお客がいつもより多くない時にわざと大袈裟な人数を言う。
- 「おじいちゃん(おばあちゃん)長生きしてねって言うんだよ。」子供に対して毒蝮が優しく諭す。
- 「戦争は絶対にしないで下さいと言うんだよ」8月15日の終戦の日の放送で、中継会場に集まった子供達に対して使用する。
[編集] ババア発言のキッカケ
当初は独立番組であった『東食ミュージックプレゼント』の放送開始に始まり、TBSラジオのかつての午前のワイド番組『こんちワ近石真介です』の放送終了に至るまで、長きにわたり毒蝮とコンビを組んでいた近石真介によれば、当初は毒蝮がお年寄りをババアと呼ぶことはなかったそうである。すでに「こんちワ近石真介です」の内包番組となっていた1973年8月に毒蝮の母親が死去し、ミュージックプレゼントも一週間休むこととなった。その葬儀の席で毒蝮は母親の写真の前で子供のように泣きじゃくっていたらしい。それほどまでに自分の母親のことを想っていたのかと、近石は感心したという。
その後、現場に復帰したところ、中継場所にやたらと元気で大声で話しまくるおばあさんがいたという。母親を亡くしたばかりの毒蝮は、その悲しみと元気なお年寄りへの羨ましさとが入り混じった複雑な感情も手伝い、「憎らしいくらい元気なババアがいる。」、「ババア、まだ生きてやがって。オレのオフクロは死んじまったというのにこっちはなんて元気なババアなんだ。」と思わず発言。当然ながら番組へ抗議の電話が殺到した。
しかし、その当時メインパーソナリティであった近石は、「本当に元気なババアだったらババアでいいじゃないか。」と毒蝮を全面的に擁護。近石は毒蝮と一緒に番組を降板することまで覚悟していたらしい。それに対して、多少の動揺があったものの番組スタッフもこのままの路線を続行することを決定し、また当時スポンサーだった東食もそれにGOサインを出した。
つまり、暴走する毒蝮に極力制限を加えない路線を選択したわけである。結果的に、この選択が長寿番組へとつながる重要な決断となった。またババア発言に対する抗議と同時にババア発言を支持するリスナーからの声も番組に寄せられており、毒蝮は励みを得たと語っている。その後、ババアと言われても一緒になって笑ってくれるような相手を極力選んで毒蝮は少しずつババアと言い始め、中継会場に集まった人達や年輩者を相手に毒舌を吐くが、その後で、毒舌で相手が決して不愉快にならぬように相手から「いい話」を引き出して盛り上げるなど、毒舌とその背後にある優しさや暖かさを話芸の持ち味にするようになっていった。
もちろん、毒蝮の目論見が外れてババアと言った相手が怒ってしまい、放送後平身低頭してその人に毒蝮が謝ったというエピソードもある。
しかし、ババアと言い始めた当初は、当然ながら毒蝮本人にもそのような発言をしていいのだろうかという迷いがあり、毎晩のように反省会と称して電話で長時間、しばしば深夜に至るまで番組の内容について近石と毒蝮は語り合い、翌日の放送に反映させたという。これが、ラジオ関係者から毒蝮の芸である「ババアトークと毒舌は近石・毒蝮が二人で共同して作り上げたもの」と評価される理由となっている。
その後、毒蝮のババアトークと毒舌はさらにエスカレートしていくわけだが、商店やスーパーマーケットが多いという中継場所の性格上、それまでは比較的若い主婦が中心に集まっていた中継現場も、ババア発言以後、不思議なことにお年寄りの数がしだいに増えるようになっていったという。
『大沢悠里のゆうゆうワイド』に内包されて以降は、内海桂子がパートナーを務めていた時期があり、内海は毒蝮がババア発言をすると、毒蝮に「マムシいいかげんにしろよ!!」と叱責していた。以降、内海を話題にする事を避けている程にトラウマになっているという。また中村メイコやフランソワーズ・モレシャンもこのババア発言を快く思っていないようである。
[編集] 補足
世間一般に毒蝮が「クソジジイ」、「クソババア」と発言しているという誤解が存在しているが、そのように発言することはない。また、毒蝮本人もそのことを公言している。
ただし、毒蝮が悪乗りして「クソババア」と発言したのを聞いたことがあるというリスナーの証言もある。
また、一般論として毒蝮自身が自分自身の毒舌に関して語る際に、自分は「クソババア」と発言していると言うこともある。ただし、毒蝮の「ババア発言」はちゃんとTPOをわきまえてのもので特定の人物を引き合いにした発言は絶対にしない。
[編集] 関連項目
[編集] 関連サイト・外部リンク
- マムちゃんの部屋サイト内ミュージックプレゼント
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(中継先の告知を掲載)